「ライジング若冲」
<あらすじ>
時は宝暦年間。岩次郎(中川大志)が丁稚奉公する京の玩具屋に、僧侶・大典(永山瑛太)がやってきた。そこで謎めいた絵に大典は興味を引かれる。描いたのは錦市場の青物問屋の主・桝屋源左衛門(中村七之助)。女性や芸事に一切興味がないが、いい年で始めた絵にすっかりはまってしまった男だという。その源左衛門はある時、路上で茶をたてる謎の仙人・売茶翁(石橋蓮司)と偶然出会い「若冲」という名を譲ってもらう。そして売茶翁の紹介で、大典と運命的な出会いを果たす。大典は若冲にこう告げた。「あなたにはこの世の森羅万象を描いてもらいたい」。そして若冲は大典の取り計らいで、京の寺にある絵の模写修業に努めるのだが・・・傑作「動植綵絵」の影にあった男たちの絆とは?!
凄く良いドラマだった。
2016年の東京都美術館の「生誕300年記念 若冲展」においては、入館まで最長5時間20分待ちの事態が発生するほどの大人気となったけれど、列に並んだら、待ちくたびれて失神してしまうので、私達は相国寺承天閣美術館に行った。
何度も次男と相国寺に行った。
コロナ禍がおさまったら、次男くんと、また、行こう。
それにしても、みなさん、長寿でビックリだ。
江戸時代の平均寿命は何歳だろうか。
夢中になることがあると、長寿になるのだろうか。
私もボケないで、健康で、次男を看取ってくれる予定のヘルパーさんに挨拶したい。
次男の葬式と散骨の段取りをつけてから、音もなく消えたい。
伊藤 若冲 1716年3月1日(正徳6年2月8日) - 1800年10月27日(寛政12年9月10日))85歳
大典 顕常(だいてん けんじょう、享保4年(1719年) - 享和元年2月8日(1801年3月22日))83歳
売茶翁(ばいさおう、まいさおう、延宝3年5月16日(1675年7月8日) - 宝暦13年7月16日(1763年8月24日))
87歳で蓮華王院の南にある幻々庵にて逝去。
池 大雅(いけの たいが、 享保8年5月4日(1723年6月6日) - 安永5年4月13日(1776年5月30日))53歳
円山 応挙 享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))62歳