晴明神社
陰陽師の安倍晴明の居宅跡にあります。
1005年に晴明が亡くなると、その時の天皇一条天皇は晴明の遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、1007年、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。当時の境内は、東は堀川通り、西は黒門通り、北は元誓願寺通り、南は中立売通りまであり、かなり広大であった。しかし度重なる戦火や豊臣秀吉の都市整備などにより次第に縮小し、社殿も荒れたままの状態となった。幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われ、1950年には堀川通に面するように境内地が拡張された。

「東は堀川通り、西は黒門通り、北は元誓願寺通り、南は中立売通り」と言うのを、自分で、勝手に、京都考古資料館の平安宮復元図に落とし込んでみました。
図の右下にある現在の二条城の大きさと比較してみました。
本当に広大だったのですね。
納得しました。
晴明神社は、いつも参拝者で賑わっているそうです。
いろいろなお守り、お札があって、今の季節限定なのは



徒歩の行程は、鴨川の河原-京都御苑-晴明神社-京都考古資料館-北野天満宮-嵐電、北野白梅町駅。
5kmくらいです。
ちょうどよい距離です。
帰路は、次男のお気に入りの嵐電(一部分、路面電車)に乗って帰ります。
、


1961年(昭和36年)まで、ここに瑞龍寺-村雲御所(近江八幡市)があった。










京都市考古資料館は、無料で入館できます。
常設展示、特別展示 があります。
冷房が効いています。ベンチがあります。
酷暑の京都の街中歩きで、「クールスポット」として利用してください。。。。。ということです。
ありがたいです。







すっごい量の福梅!!
口の中が、ジュワ!ジュワ!

次男の御朱印帳のページが埋まっていきます。
北野天満宮では、とってもイマドキな青年神職が、目の前で、サラサラサラ。。と御朱印をかいてくれました。
彼は、本当に神職さんでしょうか。
いや、本当に神職さんですよ。
そうは思いますが、ビックリ!!しちゃって。
きっと神職を目指す課程で、御朱印を書く修練もされるのでしょうね。

今日の嵐電は、1両でした。
嬉しいことに、クラシックな意匠の嵐電でした。
次男、ワクワク!!