栗原類が語る-「発達障害の僕が直面した現実」 「空気が読めない」のは本人もつらい
栗原類さんの著書『発達障害の僕が 輝ける場所を みつけられた理由』がとても良いらしい。
私は、まだ読んだことがないけれど、インタビュー記事を読んで、これは、本も良いにちがいない。。。と思った。
栗原類が語る「発達障害の僕が直面した現実」 「空気が読めない」のは本人もつらい
この記事は、残しておいてほしいわ。
次男は、地元の小学校に通学しました。
進学先を選ぶに当たって、特別支援学校の先生に相談したところ、「正直に言うと、次男くんが特別支援学校(当時の名称は、養護学校)に進学すると、”ほったらかし”になります。」という答えが返ってきた。
次男は、おとなしいし、てんかん発作等の病気を持たないし、自分でトイレに行くことができるし、危険なこと(飛び出し、高い場所に上る、異食、自傷行為、他傷行為)をしないので、先生方は、他の子ども達に手が取られて、次男のことを放置してしまうだろう。
正直に話して下さって、ありがたいと思いました。
そうは、思いましたが、暗澹たる想いに胸がつぶれました。
次男を養護学校(現:特別支援学校)に進学させてはならない。
そんな事情で進学した普通の小学校には、1クラスに3人くらいの発達障害児がいました。
次男ほどハッキリとわかる知的障害でなくても、確かに知的障害があると思われる子もいました。
ノーマークで入学させていることに驚きました。
この子の親って、幼稚園の先生達って、なにしてたのかと思いました。
知的障害はないけれど、LD、ADHDの特徴が明らかな子達がいました。
先生方は頭を抱えていました。
それでも、問題を母親に「この子の育ちにくさは、障害からくるものだ。」と告げると、「人権侵害だ!」と父親、親族、あるいは市議会議員?まで連れてきて大騒ぎを起こされることは必定と考えて手の打ちようがない状態でした。
家庭でも、学校でも適切な手当が受けられない子は混乱していました。
大人が、自分が傷つくの怖くて、代わりに子どもを傷つけていました。
私が、「この人、酷いことをしているなぁ。。。」と感じるお母さんは、私と視線を合わせないようにしていました。
きっと、発達障害があることに気がついていたのでしょう。
でも、認めたくなかったのでしょう。
”お宅の子(次男のこと)とは、違うのよ。一緒にしないでよ。”と思っていたのでしょうね。
私が、担任教諭に、「先生、次男くらいハッキリした障害があって、私くらい覚悟を決めた親でないと、本当のことを話すことはできないでしょう。」と言うと、深くうなずかれました。
今は、「発達障害」についてこんなにオープンに話題に出来るようになって、よかったです。
当時の心優しい、責任感のある先生方の苦悩ぶりは、気の毒でした。
責任感がある教諭は深く傷つき、ビジネスライクの教諭は傷つかない。
たぶん、それは今も同じでしょうね。
私は、まだ読んだことがないけれど、インタビュー記事を読んで、これは、本も良いにちがいない。。。と思った。
栗原類が語る「発達障害の僕が直面した現実」 「空気が読めない」のは本人もつらい
この記事は、残しておいてほしいわ。
次男は、地元の小学校に通学しました。
進学先を選ぶに当たって、特別支援学校の先生に相談したところ、「正直に言うと、次男くんが特別支援学校(当時の名称は、養護学校)に進学すると、”ほったらかし”になります。」という答えが返ってきた。
次男は、おとなしいし、てんかん発作等の病気を持たないし、自分でトイレに行くことができるし、危険なこと(飛び出し、高い場所に上る、異食、自傷行為、他傷行為)をしないので、先生方は、他の子ども達に手が取られて、次男のことを放置してしまうだろう。
正直に話して下さって、ありがたいと思いました。
そうは、思いましたが、暗澹たる想いに胸がつぶれました。
次男を養護学校(現:特別支援学校)に進学させてはならない。
そんな事情で進学した普通の小学校には、1クラスに3人くらいの発達障害児がいました。
次男ほどハッキリとわかる知的障害でなくても、確かに知的障害があると思われる子もいました。
ノーマークで入学させていることに驚きました。
この子の親って、幼稚園の先生達って、なにしてたのかと思いました。
知的障害はないけれど、LD、ADHDの特徴が明らかな子達がいました。
先生方は頭を抱えていました。
それでも、問題を母親に「この子の育ちにくさは、障害からくるものだ。」と告げると、「人権侵害だ!」と父親、親族、あるいは市議会議員?まで連れてきて大騒ぎを起こされることは必定と考えて手の打ちようがない状態でした。
家庭でも、学校でも適切な手当が受けられない子は混乱していました。
大人が、自分が傷つくの怖くて、代わりに子どもを傷つけていました。
私が、「この人、酷いことをしているなぁ。。。」と感じるお母さんは、私と視線を合わせないようにしていました。
きっと、発達障害があることに気がついていたのでしょう。
でも、認めたくなかったのでしょう。
”お宅の子(次男のこと)とは、違うのよ。一緒にしないでよ。”と思っていたのでしょうね。
私が、担任教諭に、「先生、次男くらいハッキリした障害があって、私くらい覚悟を決めた親でないと、本当のことを話すことはできないでしょう。」と言うと、深くうなずかれました。
今は、「発達障害」についてこんなにオープンに話題に出来るようになって、よかったです。
当時の心優しい、責任感のある先生方の苦悩ぶりは、気の毒でした。
責任感がある教諭は深く傷つき、ビジネスライクの教諭は傷つかない。
たぶん、それは今も同じでしょうね。
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