賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)上賀茂神社-社家町
上賀茂神社 に行きました。

しだれ桜が見事でした。
「斎王桜」(さいおうざくら)と言うそうです。
幹周:2.57m
美しいしだれ桜の前で、次男がステップを踏んでいました。
ま、いいけど。。(´д⊂)

この桜以外に、
孝明天皇が御所から御下賜された白い花の枝垂れ桜の「御所桜」
「風流桜」
「みあれ桜」
楼門前に咲く八重山桜の「賀茂桜」
綺麗に咲いていました。

5月5日に催される「賀茂競馬」(かもくらべうま)の練習が行われていました。
この日は、少年達が袴で騎乗していました。
中学生と聞きました。
馬は10頭余いました。
「上賀茂神社 賀茂競馬」で検索すると、迫力ある動画がたくさんあります。
今年も無事故でありますように。
今日は、内宮参拝ができる日でした。
狙って行ったわけではなくて、偶然そういう日でした。
詳しい知識がないので、ありがたさがわからないのですが、せっかくなので、参拝させていただきました。
神職さんの説明を聞いて、お浄めを受けて、本殿前まで案内されました。
私は建物フェチ気味なので、興味津々です。
次男も神妙な様子で、なにか、異次元空間にいるようでした。




上賀茂の社家町
現在、上賀茂には社家住宅がおよそ20軒残っていて、江戸時代には300軒を越える社家があったそうです。
それぞれの家の敷地内に明神川の水を引き込み、生活用水や庭園の遣水、そして身を清める禊の水として利用していたそうです。
水の管理は、厳格で、庭園を巡っただけの水はそのまま明神川へと戻し、洗濯などに用いられた汚水は「水口(すいくち)」と呼ばれる下水処理専用の井戸へと流し、明神川の清浄さを守ったそうです。
社家町を過ぎた後は農家の農業用水となったそうです。
西村家別邸が公開されています。
西陣織で財を成した西村家が明治時代に買い取って別荘としたもので、かつては社家「錦部(にしごり)家」の住宅でした。





風が気持ちよい日でした。
奥庭のりっぱな鯉たち。



バス停のすぐ横に名物の焼き餅のお店があります。
良い場所にありすぎです。
買わないでは居られません。

しだれ桜が見事でした。
「斎王桜」(さいおうざくら)と言うそうです。
幹周:2.57m
美しいしだれ桜の前で、次男がステップを踏んでいました。
ま、いいけど。。(´д⊂)

この桜以外に、
孝明天皇が御所から御下賜された白い花の枝垂れ桜の「御所桜」
「風流桜」
「みあれ桜」
楼門前に咲く八重山桜の「賀茂桜」
綺麗に咲いていました。

5月5日に催される「賀茂競馬」(かもくらべうま)の練習が行われていました。
この日は、少年達が袴で騎乗していました。
中学生と聞きました。
馬は10頭余いました。
「上賀茂神社 賀茂競馬」で検索すると、迫力ある動画がたくさんあります。
今年も無事故でありますように。
今日は、内宮参拝ができる日でした。
狙って行ったわけではなくて、偶然そういう日でした。
詳しい知識がないので、ありがたさがわからないのですが、せっかくなので、参拝させていただきました。
神職さんの説明を聞いて、お浄めを受けて、本殿前まで案内されました。
私は建物フェチ気味なので、興味津々です。
次男も神妙な様子で、なにか、異次元空間にいるようでした。




上賀茂の社家町
現在、上賀茂には社家住宅がおよそ20軒残っていて、江戸時代には300軒を越える社家があったそうです。
それぞれの家の敷地内に明神川の水を引き込み、生活用水や庭園の遣水、そして身を清める禊の水として利用していたそうです。
水の管理は、厳格で、庭園を巡っただけの水はそのまま明神川へと戻し、洗濯などに用いられた汚水は「水口(すいくち)」と呼ばれる下水処理専用の井戸へと流し、明神川の清浄さを守ったそうです。
社家町を過ぎた後は農家の農業用水となったそうです。
西村家別邸が公開されています。
西陣織で財を成した西村家が明治時代に買い取って別荘としたもので、かつては社家「錦部(にしごり)家」の住宅でした。





風が気持ちよい日でした。
奥庭のりっぱな鯉たち。



バス停のすぐ横に名物の焼き餅のお店があります。
良い場所にありすぎです。
買わないでは居られません。
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