京都 北野天満宮-梅苑公開-御土居
今朝、5:00 でも激しく降っていました。
しかし。。。。朝食が終わる頃には青空が見えていました。
あら。。。お家に居たかったけれど、出かけないではすまされません。
梅の季節なので、
北野天満宮に行くことにしました。
次男は、久しぶりに嵐電に乗ることができて、うれしそうでした。



北野天満宮の梅苑の向こうに秀吉が築いた御土居の一部が残っています。
御土居の上を歩いて散策します。


坂道を降りて、御土居の下まで降りることができます。
梅の香りの中で御土居を見上げます。
この規模の土の壁で洛内を囲い込んだなんて。。。。とんでもない規模の土木工事です。
見える範囲のここから、ここまで何人のパーティで何日。。。○○○人工(にんく)
御土居は全長22.5キロ ですって。
ほんと???もっと長くない???
重機、アンカーを使わないで、馬、牛に土を運ばせて、人力で積み上げ、土固めして。。。。
ああ、気が遠くなってきた。
御土居マップ

今も、公共工事は、地域経済に大きな影響力があります。
天正の昔も同様だったと思います。
秀吉は、どこかのお城を、周囲の川をせき止めて水攻めにしたときのように、京の町民、農民に土嚢(土俵)を作って持ってきたら、買い取ってやる。。。とか呼びかけたのかも。
たちまち人心を把握してしまったのでしょう。
恐ろしや。
1920年(大正9年)に京都府が行なった実測調査によると、御土居の断面は基底部が約20m、頂部が約5m、高さ約5mの台形状であった。土塁の外側(西部一条通以南では内側)に沿って堀があり、その幅は10数m、深さは最大約4m程度であった。これら堀の西側の多くは既存の紙屋川を利用し、また東部では鴨川を代用した。この土塁の出現により平安京では実施されなかった「羅城」が初めて実現したと言える。土塁のための土は膨大な量が必要だったと推測されるが、どのように調達されたのか未だ解明されていない。
御土居
梅苑の入園料は大人700円です。
茶店で入場券を提示すると、お茶菓子と梅茶がいただけます。
紺色の毛氈に腰掛けて、ちょっと一休みしました。

茶店には、抹茶、甘酒、黒蜜お団子等のお菓子、うどん(白味噌と豆乳のお汁、上品な鶏団子ときれいな生麩)いろいろありました。

お土産用のお菓子が何種類も並んでいました。
甘酸っぱい梅の花の香りをいっぱい吸い込んで、宝物殿では鎧や刀剣を見て、たくさん歩きました。
名物 長五郎餅も食べたし。

天正15(1587)年10月、九州平定を終えた豊臣秀吉は北野天満宮の松原で大茶会を催すことになり、市中に高札を掲げて上下の別なく参加を呼びかけた。
長五郎も出店仲間に言われて茶屋を出し、秀吉に餅を献上したところ大層気に入られ、「以後『長五郎餅』と名乗るべし」と命名されたという。
いまも北野下の森に店を構える「長五郎餅本舗」。
帰路は専門店で漬物の「すぐき」を買って帰りました。
「すぐき」「柴漬」「千枚漬け」が京都の三大漬物です。
帰路も嵐電に乗って、次男はルンルンでした。
次男は鉄ちゃんではないのですが、運転手さんのジャマにならないように気をつけながら、進行方向を見つめていました。
嵐電の路線の一部は路面電車になります。
嵐電に乗るたびに、「今度は、太秦映画村に行こうよ。」と提案するのですが、どういうわけか、「いや!」と返事されてしまいます。
なんでかなぁ。
お母さんは、行きたいんだけどなぁ。。