映画 「悪童日記」
原作者: アゴタクリストフ,Agota Kristof,
21歳の時、1956年のハンガリー動乱で1956年のハンガリー動乱から逃れるため、夫と共に生後4か月の娘を連れ、オーストリアを経てスイスのフランス語圏ヌーシャテルに移住した。当初、時計工場で働き始め、後に店員、歯科助手を務める。
「亡命作家」と見なされがちであるが、本人はハンガリー国籍も保持しており、また出国してから12年後には帰国も果たしているので「亡命作家」と言うよりはむしろ「難民作家」と見なすべきであろう。
生計のために、移住先のフランス語で執筆したが、母語であるハンガリー語に対する思い入れと、ハンガリー人としての民族意識は最後まで非常に強かったことは様々なインタビューなどからも読み取れる。
2011年7月27日、移住先のスイス・ヌーシャテルの自宅で死去。75歳没
アゴタ・クリストフは、映画の完成を待たずに亡くなった。
ただし決定稿の脚本を読んだ彼女は、一言だけコメントしていたのだという。「気に入ったわ」



第二次大戦末期……。双子の少年たちは、母親に連れられ、国境のほど近くにある祖母の家に疎開する。祖母はかつて夫を毒殺したと噂され「魔女」と呼ばれていた。畑仕事や家畜の世話を覚えた双子は、やがて街に出るように。そして、母の言いつけ通りに勉強を欠かさず、二人で日記をつけるようになる……。
愛情深い両親に育てられた少年たちが厳しい環境のなかで「悪童」に変貌していく。
善悪の問題など、生き残ることに比べたら、どうでもよいことなのだ。
母と約束した「勉強を続ける」を守った。
父と約束した「日記をつける」を守った。
それなのに、母と再会しても、父と再会しても、暖かい感情は戻ってこない。
映画の中に戦争シーンはでてこないけれど、これは戦争映画。
戦争とは、戦場で兵士だけがおこなうだけではなくて、すべての人がすべての場所で”戦争”しなければならなくなる。
どんな媒体をつかっても描ききれない残酷。
ドイツを目指して歩く難民の映像。
ゴムボートに命を委ねて海を渡る難民の映像。
難民という言葉は、殺害や迫害の恐れがある政治的難民と経済的難民に分けられるべきなのだろう。
でも、経済的困窮も人の生命を脅かす。
難民という言葉の中で、線引きが出来るのだろうか。
現代の難民問題で最も難しい点は、
難民を放置すると、テロや犯罪の温床となり、
難民を保護すると、費用として膨大な税金がたちまちのうちに消えてしまうこと。
文化的摩擦により、多くの新たな問題や衝突が発生すること。
国民が収めた税金が、国民以外の人達のために、無制限にたくさん使われることに、不満をもたないほど豊かな夢の国は、どこにもない。
難民の中に自分達が居たら。。。。と思って胸が締め付けられる。
私に、なにか出来ることはないのか。。。と思う。
それは本心。
嘘じゃない。
でも、私たちが安全な場所にいることが大事。
自分の子どもたちと自分が一番大事。
それも本心。
子が障害をもっていれば、なおさらに。