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映画-「羅生門」

映画「羅生門」
監督:黒澤明

出演者
三船敏郎
森雅之
京マチ子
志村喬
1950年(昭和25年)8月26日に公開
モノクロ、スタンダード、88分。

芥川龍之介の短編小説 『藪の中』と『羅生門』を原作として、ある殺人事件の目撃者や関係者がそれぞれ食い違った証言をする姿をそれぞれの視点から描き、人間のエゴイズムを鋭く追及した物語。

羅生門-えあ草紙 青空図書館

藪の中-えあ草紙 青空図書館


あらすじ

平安時代。打ち続く戦乱と疫病の流行、天災で人心も乱れて荒れ果てた京の都。雨が降る中で羅生門に下人がやって来る。雨宿りのためであったが、そこに杣売りと旅法師が放心状態で座り込んでいた。下人は退屈しのぎに、二人が関わりを持つことになった事件の顛末を聞くと、二人は3日前に起こった恐ろしくも奇妙な事件を語り始める。

ある日、杣売りが山に薪を取りに行っていると、侍・金沢武弘の死体を発見した。そのそばには、「市女笠」、踏みにじられた「侍烏帽子」、切られた「縄」、そして「赤地織の守袋」が落ちており、またそこにあるはずの金沢の「太刀」と妻の「短刀」がなくなっていた。杣売りは検非違使に届け出た。旅法師が検非違使に呼び出され、殺害された侍が妻・真砂と一緒に旅をしているところを見たと証言した。

やがて、侍を殺した下手人として、盗賊の多襄丸が連行されてくる。多襄丸は女を奪うため、侍を木に縛りつけ、女を手籠めにしたが、その後に女が「自分の恥を二人に見せたのは死ぬより辛いから、どちらか死んでくれ、生き残った方のものとなる」と言ったため、侍と一対一の決闘をして勝った。しかし、その間に女は逃げてしまったと証言した。短刀の行方は知らないという。

しばらくして、生き残っていた武弘の妻・真砂が検非違使に連れて来られた。真砂によると、男に身体を許した後、男は夫を殺さずに逃げたという。だが、眼の前で他の男に抱かれた自分を見る夫の目は軽蔑に染まっており、思わず我を忘れて自分を殺すよう夫に訴えたが、余りの辛さに意識を失い、やがて気がついた時には、夫には短刀が刺さって死んでいた。自分は後を追って死のうとしたが死ねなかった、と証言した。

そして、夫の証言を得るため、巫女が呼ばれる。巫女を通じて夫・武弘の霊は、妻・真砂は多襄丸に辱められた後、多襄丸に情を移し、一緒に行く代わりに自分の夫を殺すように彼に言ったのだという。そして、これを聞いた多襄丸は激昂し、女を生かすか殺すか夫のお前が決めていいと言ってきたのだという。しかし、それを聞いた真砂は逃亡し、多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害したという。

それぞれ食い違う三人の言い分を話し終えて、杣売りは、下人に「三人とも嘘をついている」と言う。杣売りは実は事件を目撃していたのだ。そして、杣売りが下人に語る事件の当事者たちの姿はあまりにも無様で、浅はかなものであった。



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芥川龍之介が、「羅城門」を「羅生門」としたのは、なぜだろうか?

男は、おぞましい光景を門の上で見る。
累々と転がる屍。
女の屍から髪の毛を抜きとる老婆は、それを売ると言う。
男は、老婆の着物をはぎ取って蹴り倒し、夜の闇に消えた。

羅は、
1 鳥を捕らえる網。網にかけて捕らえる。「雀羅(じゃくら)・網羅・爬羅剔抉(はらてっけつ)」
2 網の目のように並べ連ねる。並ぶ。「羅列/森羅万象」
3 うすぎぬ。「羅衣/綺羅(きら)・軽羅・綾羅(りょうら)・一張羅」
4 梵語・外国語の音訳字。

「生きる」ことを、2、網の目のように並べ連ねる。並ぶ。だろうか。
人は、何としても、生きようとするものだ。。。と

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テーマ : 邦画
ジャンル : 映画

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Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

我々にとって深遠なものは、逆の相の下に隠されている。生は死の下に、愛は憎しみの下に、義は罪の下に、力は弱さの下に隠されている。

いずれも、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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