徒然草第52段

徒然草第52段

仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。

すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。





(口語訳)

仁和寺にいた、ある法師が、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがないことを情けなく思い、ある時思い立ち、一人、徒歩でお参りにいった。(山麓の)極楽寺と高良神社をお参りし、(八幡宮へのお参りは)これだけだと思い込み帰路の途についた。

帰った後、傍輩に向って、「ずっと(心に)思っていたこと(八幡宮へのお参り)を果たせた。聞いていた以上に尊さ(八幡大神の御神威)を感じた。ところで、他の参詣者が皆、山へ登っていったが、何か山上にあるのだろうか。行ってみたいとは思ったが、お参りすることが本義であるからと思い、山上までは見に行かなかった。」と言った。

小さなことにも、案内者(指導者)は欲しいものである。


御室仁和寺は、御室桜で有名です。
すっごい人ですけど、行く価値があります。
桜の海が溺れる感じがします。


石清水八幡宮は、京阪電車「八幡市駅」の目の前にある男山ケーブルに乗って「男山山上駅」へ。
下車徒歩5分で石清水八幡宮です。
男山ケーブルカーは本当に2分ほどの時間です。
ちょっと物足りないです。
次男が「へ?」という顔をしていました。
下りはお散歩気分で石段と坂道を降りてきます。


仁和寺は、現在の住所でいうと、京都市右京区御室大内33

石清水八幡宮は、 京都府八幡市八幡高坊30


現在の地図上で測ると、両所の距離:18.7km
徒歩で、時間:3時間45分  
歩くスピードが落ちなければでしょ。
往復37.4km
大変ですよ。
そりゃぁ、マラソンは42.195kmだけど。


当時の人は、どれだけ健脚だったことか。

次男とふたりで「仁和寺(にんなじ)にある法師」が歩いた道を歩いてみたい気がします。
気がするだけですけどね。



2015-6-19-1-1





当時、石清水八幡宮 の境内は広大で、山麓にあった極楽寺高良神社も壮麗であったのでしょう。




男山の山上に建つ御本殿を含む諸社殿を 「上院 (じょういん)」というのに対して 男山山麓の 頓宮殿 (とんぐうでん)、高良神社、斎館、 回廊、北門、南門、放生池(ほうじょういけ)、勤番所、礼堂 などを等を含む所を 「下院 (げいん)」、または 「宿院(しゅくいん)」 という。 



仁和寺の法師が参拝した極楽寺と高良神社は 明治元年(1868年)一月 鳥羽伏見の戦いの際、大垣藩 桑名藩を主とする幕府軍が 男山西麓(せいろく)に陣を敷いたところ、長州軍の猛攻を受け焼失した。

 同年 明治政府の神仏分離令に より 岩清水八幡宮に属していた 仏教関係の堂塔( どうとう )は 取り壊され神仏習合から脱(だっ)し 純粋に神道神社となった。 48の僧坊は取り壊され八幡大菩薩という仏教的神号は 明治政府によって禁止された。

高良神社は 明治十二年 ( 1879年 ) 再建された。兼好法師の時代には 高良神社は 今よりずっと立派であっただろう。 宿院にあった極楽寺は 豪壮なものであった。



現在の極楽寺は、地図上では、南に1kmほどのところに在る様子。

神仏分離令によって引き起こされた廃仏毀釈はとんでもなく暴力的だったようす。
なんとヒステリックな。
中国の文化大革命や、アルガイダやISの遺跡破壊と同じ線上にあるようだ。
ゾッとする。
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Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

どちらの言葉も、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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