「いってきます!」
次男くん、ちゃんと「いってきます!!」の連絡をくれました。
元気な声です。
そして、気持ちが安定していることがわかります。
ありがたいです。
支援者に恵まれて、職場に恵まれています。
ありがたいです。
次男はすでに20代後半になりました。
オジサンになりつつあります。
知的障害者がたくさん集まる機会があると、私の目は、年長者に釘付けになります。
知的障害者が歳をとっていくことに、良いイメージはありません。
次男は、どんな変化を遂げるのでしょうか。
幼児期、少年期は、知的障害のある少年であっても、
青年期、中年期は、知的障害の成人というよりも、知的障害のある精神障害者に見える人が多いです。
老年期は、認知症の老人と同じになるのでしょうか。
幼児の知的障害者に同情する人は多くても、オジサン、オジイサンになってしまった知的障害者に同情する人は少ないです。
それでも、次男の人生は続きます。
続くのなら、最善を望むのが親の仕事です。
次男はどんなふうに歳を重ねていくのか。
どんな、「知的障害のあるオジサン」になっていくのか。
心配でなりません。
心配だったら、今はなにをすべきか。
正解と決まった答えはないのです。
でも、なにかあるはずです。
元気な声です。
そして、気持ちが安定していることがわかります。
ありがたいです。
支援者に恵まれて、職場に恵まれています。
ありがたいです。
次男はすでに20代後半になりました。
オジサンになりつつあります。
知的障害者がたくさん集まる機会があると、私の目は、年長者に釘付けになります。
知的障害者が歳をとっていくことに、良いイメージはありません。
次男は、どんな変化を遂げるのでしょうか。
幼児期、少年期は、知的障害のある少年であっても、
青年期、中年期は、知的障害の成人というよりも、知的障害のある精神障害者に見える人が多いです。
老年期は、認知症の老人と同じになるのでしょうか。
幼児の知的障害者に同情する人は多くても、オジサン、オジイサンになってしまった知的障害者に同情する人は少ないです。
それでも、次男の人生は続きます。
続くのなら、最善を望むのが親の仕事です。
次男はどんなふうに歳を重ねていくのか。
どんな、「知的障害のあるオジサン」になっていくのか。
心配でなりません。
心配だったら、今はなにをすべきか。
正解と決まった答えはないのです。
でも、なにかあるはずです。
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