映画[チョコレートドーナツ]-ヒットしているようす。
見にいきたい。。。。と思いながら、行けないままだ。
上映館を調べると、まだ上映している。
ヒットしていて、うれしい。
「ダウン症の子は、みんな天使」という方もあるけれど、それは言いすぎで、みんながみんなそうではないです。
「自閉症の子は、みんな天才」と言ってしまうと、言いすぎになるのと同じです。
障害児の親もいろいろで、1種類にまとめることはできないのです。
障害や障害児について公の場でコメントするひとは、たいていきれいごとを言います。
どんなことについても、公の席で本音を吐露する人は、多くないのです。
なにごとも、「美化しすぎている」と思われると信用されないのですが、美化するつもりではなくて、言葉に出したくない苦しい想いを出さないで踏ん張っているだけの時もあるのです。
だから、トークイベントできれいなコメントをした「障害児の母」は、ウソを言っているわけではなくて、自分たちを美化するつもりもなくて、言葉に出したことは本当にそう思っていることで、言葉に出した以外にも、思っているけれど言葉には出さない想いもあるのだと思います。
私が踏ん張るのは、自分自身を、気持の中のギリギリのところまで追い詰めて、「じゃぁ、この子を殺せば私は幸せになるのか。」と問うたときに、
「殺す、生かす。。。どころではなくて、
この子だけではなくて、ふたりの息子達が幸福でないと、私も幸福ではないのだ。」
という答えが返ってくるからだと思います。
ふたりの息子達がそれぞれの良さを認めてもらえて生きていける形に辿りつかないと、私も永久に彷徨ったままなのだと思います。
きっと、絵に描いたような100%完全無欠の幸福は世の中に存在しないのです。
傍目には完璧に幸福な人、幸福な一家が居たとしても、どこかが、うまくいっていなかったり、理想とかけはなれていたりすることがあると思います。
それでもなんとか折り合いをつけて、工夫して不都合を最小に近付けて「幸福」が成り立っているのだと思います。
それは、十分に幸福の範囲に入っているのだと思います。
上映館を調べると、まだ上映している。
ヒットしていて、うれしい。
「ダウン症の子は、みんな天使」という方もあるけれど、それは言いすぎで、みんながみんなそうではないです。
「自閉症の子は、みんな天才」と言ってしまうと、言いすぎになるのと同じです。
障害児の親もいろいろで、1種類にまとめることはできないのです。
障害や障害児について公の場でコメントするひとは、たいていきれいごとを言います。
どんなことについても、公の席で本音を吐露する人は、多くないのです。
なにごとも、「美化しすぎている」と思われると信用されないのですが、美化するつもりではなくて、言葉に出したくない苦しい想いを出さないで踏ん張っているだけの時もあるのです。
だから、トークイベントできれいなコメントをした「障害児の母」は、ウソを言っているわけではなくて、自分たちを美化するつもりもなくて、言葉に出したことは本当にそう思っていることで、言葉に出した以外にも、思っているけれど言葉には出さない想いもあるのだと思います。
私が踏ん張るのは、自分自身を、気持の中のギリギリのところまで追い詰めて、「じゃぁ、この子を殺せば私は幸せになるのか。」と問うたときに、
「殺す、生かす。。。どころではなくて、
この子だけではなくて、ふたりの息子達が幸福でないと、私も幸福ではないのだ。」
という答えが返ってくるからだと思います。
ふたりの息子達がそれぞれの良さを認めてもらえて生きていける形に辿りつかないと、私も永久に彷徨ったままなのだと思います。
きっと、絵に描いたような100%完全無欠の幸福は世の中に存在しないのです。
傍目には完璧に幸福な人、幸福な一家が居たとしても、どこかが、うまくいっていなかったり、理想とかけはなれていたりすることがあると思います。
それでもなんとか折り合いをつけて、工夫して不都合を最小に近付けて「幸福」が成り立っているのだと思います。
それは、十分に幸福の範囲に入っているのだと思います。
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