9年かかってやっと見た-「誰も知らない」2004公開
2004年にロードショーで見ようと思ったが、見に行けなかった。


映画の内容に引きずられて、きっと容易には回復できないだろうと思って、見る勇気を持てないままだった。。
やっと見ることができたのは、
真偽のほどを確かめることはできないけれど、
母親は、執行猶予の判決を受け、その猶予条件に内包されていたためか、愛人と暮らしてはいたが、手元に女児2人を引き取った。
しかし、うまくいかず、女児2人は再び施設へ入所。
高校を卒業し、規定に即して、出所。
長男も養護施設で高校卒業までおり、遅れた学習能力を取り戻すかのように、猛勉強。
奨学金を得て、大学にも現役合格。
両親が事実上いないにも関わらず、誰もが当時その名を知る大企業に就職。結婚もし、2004年の映画公開時に子供もいた。
というような記事を、最近になって見つけて、気持ちが救われたから。
子の記事が本当であれば良いなぁ。
映画は、実際の事件に触発されてつくられたものではあるが、事件の再現フィルムではないのだけれど。
そうは思っても、気になって仕方がなかった。
この子達、この後どうなったのだろう。
気持ちを切り離せなかった。
映画と現実は別だし。
いや、居所不明児童976人居るというし。
出生届を出していなければ、健診や就学の機会もないので、誰にも存在を知られない子どもが居ても不思議ではない。
親の都合で打ち捨てられている子はいるのだと思う。
義務教育は、「親に子どもに教育をうけさせる義務がある。」という意味のはずだけど。
誰も知らない
映画の中野お母さんと自分を比べて、「私は、こんなひどい母親じゃないわ。」。。。て、簡単に思ってはいけないと思う。
親になったからには、子と正面から向きあってやりたい。
イイワケして逃げてしまうと、それも「打ち捨てて」いることだと思う。
私は、こんなひどい母親じゃないわ。。。。て、簡単に思ったら、大マチガイ。
これは、私への言葉。
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長男の明くんが同年代のちょっとワルの少年たちを家に連れて来た。
明くんにとって、たぶん初めての友達。
明くん、うれしそう、楽しそう。
少年達に、「ありがとう。また、あしたね。」て言うの。
楽しそうにTVゲームで対戦する明くんと少年たち。
ちょっかいを出すシゲルくんを少年たちが邪険に扱う。
京子ちゃんが明くんを睨むのだけど、明くんは、視線をはずした。
その明くんの表情が私の胸を突く。
長男が友達を家に連れてくると、
次男は、気を使って。。。というよりも、ゲームをしているお兄ちゃん達が気になるし。。
オヤツを入れた容器をお兄ちゃん達に持っていって、そのまま傍に座ろうとしたら、「あっちに行け!」と言われた。
「いいじゃないの。見せてやってよ。」と、長男にちょっと責めるように言った私の言葉に、長男は視線をはずした。
同じ表情だった。
明くんと長男の表情が同じだった。
長男は、「ふつうの弟がほしい。」と言ったことがあった。
本当は、「ワル目立ちしないお母さん」がほしいとも、言いたかったでしょう。
私は、先輩のお母さん達が決して言わなかったこと言った。
「なにがなんでもみんなと同じがよい。」とかピントはずれなことは言わなかった。
障害にあった教育、訓練を求めた。
「障害児にも教育を受ける権利がある。子守をしてもらおうと思って入学させたのではない。子守なら、もっと優秀な人を自分で手配できる。」と正面切って学校に談判するお母さんを持つと、ふつうの小学生には辛いことが多かったと思う。
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公園に落ちていたピンクのボールを見つけて、ひとりで楽しそうに遊ぶ明くん。
長男が3年生、4年生のクラスで浮いていて、一部の悪ガキからいじめを受けていた。
3年生のクラス担任は、毎年ターゲットをひとり決めて巧妙な生徒虐めをする教員だった。
それに依ってクラスを掌握する教員だった。
生徒は教員に同調して保身する。
たぶん、教員が嫌ったのは、長男ではなくて、私だろう。
長男は、私に具体的に説明しなかった。
説明する言葉を見つけることができなかったのだろう。
胸にしまい込んでいた。
小学生に苦しい想いをさせてしまった。
長男の少年時代を早く終わらせてしまった。
なぜだろう。
よその子の苦しさはよくわかるのに、自分の子の苦しさはわからない。