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ケネディー家

19日、キャロライン・ケネディー氏が駐日アメリカ合衆国大使として着任した。

信任状捧呈式を終え皇居を後にする米国のケネディ新駐日大使を乗せた馬車

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ケネディ家についてのドキュメンタリーフィルムが放送されるので見ておこうと思う。
ケネディー家というと、栄光の一族というよりも、おどろおどろしい重い宿命を背負った一族のように思う。

庶民として生きることも、けっこう大変なことの連続だけど、メイッパイ、テイッパイの毎日だけど、庶民で良かったと思う。

キャロライン氏の面立ちは、眉と眉の間の距離があるところが、母のジャクリーン氏にそっくり。

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NHK BS1
ケネディ大統領への背信 前編
強硬派との対立


再放送13年11月20日 水曜 午後6時00分~6時50分

暗殺により2年10カ月に終わったケネディ大統領の在任期間。この間に、ケネディは軍や情報機関とどう対峙し、ソビエト政府にどう向き合ったのか。側近や通訳、研究者、当事者の親族など、多彩な証言をもとに検証する(全2回)。

前編では、若き大統領をさげすみ、対ソ強硬路線を進言した軍や情報機関とケネディとの対峙を描く。
1961年1月に大統領に就任したケネディ。その後数カ月の間に、キューバ・ピッグス湾事件(4月)や、米ソ首脳会談の物別れ(6月)など様々な事態が起き、米ソの対立は深刻化していった。実はそれぞれの局面で、軍やCIAなどはホワイトハウスに詳細な情報を上げず、不正確な情報を元に大統領決定に持ち込もうと動いていた。

背景には、ピッグス湾事件でケネディがダレスCIA長官を解任したことによるインテリジェンスサイドでの不信感や、外交経験の浅さによる軽視もあったという。
7月、軍の統合参謀本部は、秘密会議でケネディに「ソビエトに対し、核による先制攻撃をすることが望ましい」と進言。攻撃は1963年後半に行うとし、3億人以上の死者を見積もっていた。ケネディはこれに異を唱えるが、強硬意見の包囲網が築かれていく。そして、その最中に全面核戦争の淵に世界を追いこんだキューバ・ミサイル危機が起きた



ケネディ大統領への背信 後編
キューバ危機 そして反転攻勢へ


再放送13年11月21日 木曜 午後6時00分~6時50分

暗殺により2年10カ月に終わったケネディ大統領の在任期間。この間に、ケネディは軍や情報機関とどう対峙し、ソビエト政府にどう向き合ったのか。側近や通訳、研究者など、多彩な証言をもとに検証する(全2回)。

後編では、対ソ強硬派に包囲される中、独自のチャンネルで平和路線を打ち出そうと動くケネディ・サイドの姿を描く。
大統領就任から1年後の1962年には、軍や情報機関によるケネディ批判はさらに過熱。
その急先鋒は、第二次大戦中に東京大空襲などを指揮したルメイ空軍参謀総長だった。ルメイがケネディの“無能ぶり”に怒り、キューバ侵攻の機運を高めていったのに呼応し、フルシチョフはキューバへの中距離核ミサイル配備へと傾いていく。対立が強まる中、ケネディは、アメリカがベトナムから撤退する見返りにソ連との間に外交的解決を目指そうと考えるガルブレイズを駐インド大使に送りこんだ。しかし、その試みは国務省の組織的な背信により、もみ消されていった。

そして起きたのが、米ソが核戦争寸前の事態に陥ったキューバ・ミサイル危機だった。核戦争になればもはや首脳でもコントロールできないことを悟った米ソ首脳は、やがて対話へと転じる。ケネディは独自に、平和的共存の考えを持つノーマン・カズンズをフルシチョフの元に送りこみ、関係を構築。そして、部分的核実験禁止条約が調印されていく。




ルメイ空軍参謀総長
秘蔵映像 忘れ得ぬJFK

13年11月26日 火曜 午後6時00分~6時50分

この番組は、当時、開発されて間もない音声も同時に収録できる小型ムービー・カメラによる映像がふんだんに盛り込まれている。公式の場での会見や演説に加えて、私的な場や非公式の場での“秘蔵映像”が多く含まれている。1960年の民主党の大統領予備選挙中の事務所内での姿、大統領執務室での顧問や補佐官とのやりとり、公民権運動が盛り上がりを見せる中で、人種隔離主義者ジョージ・ウォレス・アラバマ州知事と対峙した大統領とロバート・ケネディ司法長官の緊迫した場面などである。

ケネディの大統領執務室での会話は、ホワイトハウス地下で録音されていた“ケネディ・テープ”が10年ほど前に公開されているが、こうした秘蔵映像は余りない。

共和党のニクソンと対決した大統領選挙でケネディは、いわゆる“ミサイル・ギャップ”に焦点をあてた論戦に挑んだが、合わせて、地上核実験の禁止、核軍縮の必要性、公民権運動にも理解を示していた。そうした彼の考えも、一連のプライベート・ミーティング等から垣間見られるのが興味深い。





ケネディ家 宿命の子どもたち 前編(再)

13年11月27日 水曜 午後6時00分~6時50分

アメリカの王室とも称される政治界の名門中の名門、ケネディ家。史上最年少で大統領に就任し、3年後に暗殺されたジョン・ケネディや、大統領選での勝利を目前に遊説中に暗殺されたロバート・ケネディたちケネディ一家は、海辺の別荘に集まって過ごす事が多く、彼らの子どもたちも仲良く、一緒に育てられた。

セキュリティガードに守られ世間から隔絶された贅沢な暮らし、メディアの脚光を浴びる日々、しかし一方で、政治活動に忙しく不在がちとなる父母、そして将来のアメリカを背負う事を期待されるプレッシャー・・・。子どもたちはどんな影響を受けて育っていったのだろうか。

ジョンやロバートの父・ジョセフは儲けのためには手段を選ばず、ウォール街、禁酒法ビジネス、ハリウッドと次々に資金をつぎ込み、莫大な財産を築く。実業界での成功後、その上昇志向は政界へと向けられ、政治献金の功績から駐英大使のポストに就くが、第二次大戦の戦況を見誤り解任され、野望は次の世代に託されることになった。

息子のジョンが出馬した大統領選挙でジョセフは影の参謀として采配を振るい、旧知のマフィア・コネクションを使うなどして、ついに夢を果たす。(後編に続く)



ケネディ家 宿命の子どもたち 後編(再)

13年11月20日 水曜深夜[木曜午前 0時00分~0時50分]
13年11月27日 水曜 午後7時00分~7時50分

史上最年少の大統領としてジョンが大統領に就任した時、娘のキャロラインは3歳、ジョンJr.はまだ生まれたばかり。それからわずか3年足らずで暗殺され、二人を始めとするケネディ家の第3世代の子どもたちは将来への不安を持つ。

ジョンの政権で司法長官を務めた弟のロバートは正義感が強く、父・ジョセフが関係を築いていたマフィアの粛清を進めた。

そして、この行動が兄の死を招いたと考えていた。
ロバートは自分が一族の大黒柱となり支えることを誓うが、大統領選の遊説中にまたしても凶弾に倒れてしまう。

ジョセフは二人の息子を政界の星に育て上げた功績とともに、同時に一族に負の遺産も遺していた。
相次いで父やおじを亡くした子どもたちは、今度は自分の番かもしれないという死への不安を抱えて暮らすことになる。
また、ケネディ家の一員としての期待が大きすぎるあまり、家族の集合写真から自分を消してほしいと願う子も現れる。
祖父によって定られた宿命は第3世代の子どもたちにものしかかり、やがて悲劇の連鎖が続いていく・・・。1960年代のアメリカの理想の家族だったケネディ一族の実像を、子どもたちの養育係の女性の目線で綴る。



コールド・ケース “JFK”
~暗殺の真相に迫る~


2013年11月21日 木曜深夜[金曜午前 0時00分~0時50分]
再放送13年11月28日 木曜 午後6時00分~6時50分

白昼、大勢が見守る中での狙撃だったにも関わらず、事件としてはナゾが多い“ケネディ暗殺事件”。アメリカの公共放送WGBHの科学番組制作班が、最先端の科学捜査技術を駆使して改めて検証する。

事件直後の調査では、大統領の狙撃はオズワルドによる単独犯行だとされた。
一発の銃弾が大統領の体を貫通し、前席に座っていたコナリー州知事にも重傷を負わせたと考えられたからだ。

これは本当だったのか?

弾道学の専門家が最新鋭のドップラーレーダーや超高速カメラなどを駆使し、ケネディの体に残された傷跡の記録から、ライフルの種類や発砲された場所などについて新事実を探る。

一方、1979年に発表された捜査報告では、銃弾は一発ではなく別の方向からの狙撃もあったと記録されていることから、オズワルドの単独犯行説を疑問視する専門家もいる。
番組では、暗殺現場を3Dコンピューターグラフィックスで詳細に再現し、アーカイブ映像と照合しながら、事件の瞬間の状況を全方位的に分析した。浮かび上がった真実とは?




リンドン・ジョンソン
~ケネディの後を継いだ男~


13年11月22日 金曜 午後6時00分~6時50分

国民から圧倒的な人気を得る中で暗殺されたケネディ大統領。
憲法の手続きに従って、後継者となったのが、副大統領だったリンドン・ジョンソンだった。
就任から5年後の1968年に、ベトナム戦争の泥沼化を受けて、大統領再選を目指さないことをテレビで表明したことで有名だが、彼自身の業績については、これまで語られることはなかった。


ケネディ暗殺の翌年、大統領選で共和党候補に圧勝したジョンソン。
選挙戦では、貧困との闘いや社会保障制度の充実などをうたった「偉大なる社会」をスローガンに掲げるなどリベラルな政治姿勢を打ち出していた。

アイゼンハワー政権時代に民主党上院院内総務を務めたジョンソンは、議会対策を知り尽くした手腕を活かし、ケネディ時代からの懸案だった公民権法を成立させ、人種差別の撤廃に貢献。
さらに、投票権法などさまざまな法律を成立させた。

しかし外交・軍事面では、ベトナムで北爆の開始を命じ、多くのアメリカ人兵士をベトナムに送って戦争を拡大。犠牲者の増加とともに国民の支持が低下していった。
毀誉褒貶のあるジョンソンの5年余りの大統領時代に光を当てる。

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テーマ : 歴史
ジャンル : テレビ・ラジオ

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Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

我々にとって深遠なものは、逆の相の下に隠されている。生は死の下に、愛は憎しみの下に、義は罪の下に、力は弱さの下に隠されている。

いずれも、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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