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大阪城-重要文化財「千貫櫓・多聞櫓・金蔵」 その2

大阪城-重要文化財「千貫櫓」

大手門を側面から防御する重要な櫓。

名前の由来は織田信長が石山本願寺を攻めた時、横矢が効果的に飛んでくる隅櫓がこのあたりにあって難儀し「あの櫓を落とした者には千貫文の銭を与えても惜しくない」と話したことから。

豊臣時代にあった隅櫓も同じ名前で呼ばれていて、千貫櫓は元和六年(1620)に小堀遠州の設計・監督の下に築かれた一連の建物の一つであり、大阪城内に残る建物の中では西の丸内にある乾櫓と並んで最も古い建造物。

昭和三六年(1961)の解体修理の際「元和六年九月十三日御柱建つ」と墨書銘のある板が土台部分から発見され、上棟式の年月日も明らかになっている。


千貫櫓から多聞櫓を見る

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なるほど、大手門に攻めてくる敵軍勢の左側に射かける位置です。


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ちょうど良いお散歩でした。

時代劇で見る建物は、たいていが撮影セットだと思いますが、これは本物です。
素人目ですが、撮影セットは上手に作ってあるのだなぁ。。。と思いました。

1603年が江戸幕府が開かれた年ですよね。
1620年に建てられたものが修復作業を経て現存していることは、すごいことですね。

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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

我々にとって深遠なものは、逆の相の下に隠されている。生は死の下に、愛は憎しみの下に、義は罪の下に、力は弱さの下に隠されている。

いずれも、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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