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81歳からのメールとピスタチオ

アメリカ在住の伯母と電話で話した。
伯母が、「コンピューターを買ったので、メールアドレスを知らせてほしい。」と母に電話で言ってきたから。


以前から、「私にコンピューターとかインターネットとかできるかしら。。。」と母に話していたのは知っている。
できると思うよ。。。と返事するように言っておいた。
母もPCを持っていて、経理ソフトに入力しているけれど、メールやインターネットは、ほとんど使っていないのだった。
母はエクセルだけを使っているのだ。


で、伯母は遂にPCを買って、私と母のメールアドレスを知らせてと言ってきたのだ。


アメリカ東部は日本時間ー13時間。
あちらが夜になる時刻に電話した。


伯母は、長崎弁残る口調で、楽しそうにたくさん話してくれた。


最近、SUVの新車を買ったこと。
6年間乗った以前の車の下取り価格が、韓国車ディーラー10000ドル、日本車デイーラーが9000ドルだったので、今回は韓国車を買ったこと。
韓国車のディーラーは、オイル交換を無期限で無料でしてくれて、半年に1回シートをクリーニングしてくれるサービス振りで、それに対して、日本車ディーラーは、オイル交換が6回分だけが無料なのだ。。等々。


伯母は、父の姉で、今年の11月で82歳。
伯父も同い年で、82歳だそうだ。
伯父は、定年まで勤めた退役軍人(将校)なので、年金があるし、医療も大丈夫。
そのうえ、何より健康なのだ。


伯父の趣味はクラシックな車を自分のガレージでいじってメンテナンスして乗ること。
けっこうな費用がかかるそうで、時々伯母は「爆発」するのだとか。
元気な82歳の夫婦です。




私は、79歳になった父のゴルフと車の運転をなんとか遠慮させる方法はないかと考えている。
それがうまくいかないのは、なるほど、この姉がいるからだとわかった。

わかったけれど、たぶん米国の道路は日本の道路よりも幅員が広いのではないだろうか。
住宅街の道路幅などは、きっと大きな違いがあるのではないかと思う。
伯母が大丈夫だから、父が大丈夫だとは言えないのではないかと思う。



「あら、日本車はアフターサービスで韓国車に負けているのね。ざんねん。」
と伯母に言ったら、


「大丈夫よ。こっちに来てハイウェーを走ってご覧なさい。
ここは日本か?と思うくらいにトヨタだらけよ。」
と話していた。


1945年の終戦当時、父は、11歳。
姉の伯母は、14歳。

父は、姉が学校で優秀だったと言っている。
亡くなった祖父が、「節子が男だったらなぁ。。」とよく言っていたと。

いつだったか、伯父が、「日本の役所に、1969年1月6日に届けを出した。ふたりで届けに行ったら、お正月休みで警備員しかいなかった。今、書類を出さないと、節子の気が変わるのではないかと心配だったので、警備員に無理やりに書類を渡した。」と言っていたと記憶している。

1969年は、終戦からずいぶんと時間が経っているけれど、日米の国力の差はまだまだ大きい頃で、伯母は日本人の間では恐いものなしであったかも知れないが、アメリカ人の間では、悔しい想いをたくさんしたのではないかと思う。



昔のことは、想像するだけでよくわからないけれど、現在81歳の伯母がPCを買って、メールアドレスを作ったからメール交換をしましょ。。。。と言ってくることは、素晴らしいことだと思う。

弟である79歳の父は、PCに興味がない。
you tube のナットキング・コール、フランク・シナトラ等のTVショーの映像を見せたら、喜んだけど、自分で触ってみようという気持ちはない。


私が81歳になったら、81歳まで生きていたらだけど、どんなお婆さんになっていることだろう。
私は、今、既にボケボケなのに。。。。


81歳で新しいことに挑戦できるだろうか。
伯母の前向きな気持ちは素晴らしいと思う。
伯母とメル友になろうと思う。

話題に困るのだけど、伯母は相撲が好きだから、それで。。。。て、私が相撲を知らないから困ったな。((+_+))





私には、国際電話をかけることは負担が大きい。
伯母の話がはずむと、通話時間が長くなると、料金が気になってドキドキする。
だから、メールになるとありがたいな。

伯母のメールアドレスを電話で聞き取って、早速メールを書いて送った。
両親の家のワンちゃんの写真も送っておいた。


伯母から、私と母に返信があった。


○○ちゃん 昨夜の電話有り難う御座いました。嬉しかつたです

今朝早くお母さんに報告しました。  貴女の英語力アメリカに

何時来ても不自由しませんよ、ワンちゃんの写真有り難う、私

写真送りかたまだ知らないからしばらくお待ちくださいね。

今日は今から歯科にでかけるので又便りします。

                         節子




50を過ぎて、○○ちゃん。。。と呼ばれるのは、さすがに恥ずかしい。

伯父と少し話しただけの私の英語は、中学校の英語のテキストなら読めるくらい。
伯母は、これから私に相手をしてもらわねばならないからゴマをすったのだ。
ミエミエのゴマゴマだ。

伯母とは日本語で話して、日本語でメールを書いて、申し訳程度に伯父に英語の短文を書いておくだけからなんとかなるさ。

伯母から義妹である母に電話があって、母はちょっと面目を保ったようだ。
母は、気分をよくしたのだろう。
両親の家に、伯母がアメリカから送ってきた品物を分けてくれた。


ピスタチオとドライフルーツのプルーンがいっぱい入った袋が届いた。
ありがたい。
食べだしたら止まらない。

これを、父は箱に入れて自分が1階に居る時は1階にもって降りて、2階に行くときは2階に持って行っているらしい。
母に一粒も分けないで。
そんなにピスタチオが大好きなのか。。。というとそうでもない。
加齢によるボケか。。。。というと、中年のころにはすでにそうだったのだ。
自分のものは、自分のもの。。。。という人で、悪い意味でミーイズムの塊のような人なのだ。
いつでも自分が一番なのだ。



伯母と電話で話した時に、「父は一粒のナッツも母に分けないのよ。自分だけで抱えているの。」とチクッておいたので、伯母にたしなめられたかもしれない。


ナッツもドライフルーツも、好きだけど、わざわざアメリカから送ってこなくてよいのだ。
外国製品を扱っている食料品店や、業務用スーパーで売っているから。
そして、たぶん、そこで買ったほうが安い。。。。
米国からの送料は、きっと品物代金と同じか、それ以上だと思う。


でも、言わない方がよいのだろうな。
(~_~;)
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テーマ : ひとりごと
ジャンル : 日記

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Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

我々にとって深遠なものは、逆の相の下に隠されている。生は死の下に、愛は憎しみの下に、義は罪の下に、力は弱さの下に隠されている。

いずれも、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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