歴史メモ‐ナチス発見の仏像、隕石だった=大戦前夜、チベット探検-調査チーム
【パリAFP=時事】第2次世界大戦勃発前夜の1938年、秘境だったチベットに足を踏み入れたナチス・ドイツの探検隊が発見した約1000年前の仏像は、宇宙から飛来した隕石(いんせき)を彫刻して制作された極めて異色の作品だったことが分かった。ドイツの調査チームが鑑定結果を26日、学術誌に発表した。
この探検隊は、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリヒ・ヒムラーの支援の下で派遣されたもので、「アーリア人の優越」というナチスの人種イデオロギーの裏付けを探るためにチベットに送られた。ヒムラーはアーリア人の起源はチベットにあり、その優越性の証拠が同地で見つかると信じていたとされる。
探検隊が持ち帰った仏像は毘沙門天の座像で、高さ24センチ、重さ10.6キロ。「鉄の男」と呼ばれていた。
化学的に分析したところ、約1万5000年前にシベリアとモンゴルの境界付近に落下したチンガー隕石の一部を加工研磨して作られたと断定された。ナチスのシンボルであるかぎ十字とは逆向きの「まんじ」が胸に描かれ、探検隊が興味を持ったと言われている。(2012/09/27-06:26)

こういうニュース、スキだわ。
映画で言えば、インディ・ジョーンズ博士が出てきそうな話。
この探検隊は、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリヒ・ヒムラーの支援の下で派遣されたもので、「アーリア人の優越」というナチスの人種イデオロギーの裏付けを探るためにチベットに送られた。ヒムラーはアーリア人の起源はチベットにあり、その優越性の証拠が同地で見つかると信じていたとされる。
とんでもない発想だと思う。
スペインの南米征服とかも、ぞっとする。
キリスト教から見れば異教徒の文明であっても、いきなり滅ぼしてしまって。
もったいない。
当時は、ローマ法王の祝福を受けた正統な行いだったのだ。
ペルーのリマの宗教裁判所博物館で、拷問して改宗させた様子が展示されているとか。
拷問の様子をインターネットで検索すると、震えがくるほど酷い。
1532年、スペイン人のピサロが、ペルー北部に侵入、征服を始めた。
裁判官の資格をもったスペインの宗教裁判所の使節がペルーに上陸し、正式に裁判所が置かれる前に、何度か宗教裁判が行われていた。
1570年、スペイン王の命により、リマの中央寺院で発足。
1584年、現在のボリバル広場に正式に設置された。
1820年、リマの宗教裁判所が完全廃止
二百五十年間も民衆を苦しめつづけた。
廃止の報を知ったリマの人々は、怒りを爆発させ大挙して裁判所を襲い、建物や設備を破壊した。
この探検隊は、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリヒ・ヒムラーの支援の下で派遣されたもので、「アーリア人の優越」というナチスの人種イデオロギーの裏付けを探るためにチベットに送られた。ヒムラーはアーリア人の起源はチベットにあり、その優越性の証拠が同地で見つかると信じていたとされる。
探検隊が持ち帰った仏像は毘沙門天の座像で、高さ24センチ、重さ10.6キロ。「鉄の男」と呼ばれていた。
化学的に分析したところ、約1万5000年前にシベリアとモンゴルの境界付近に落下したチンガー隕石の一部を加工研磨して作られたと断定された。ナチスのシンボルであるかぎ十字とは逆向きの「まんじ」が胸に描かれ、探検隊が興味を持ったと言われている。(2012/09/27-06:26)

こういうニュース、スキだわ。
映画で言えば、インディ・ジョーンズ博士が出てきそうな話。
この探検隊は、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリヒ・ヒムラーの支援の下で派遣されたもので、「アーリア人の優越」というナチスの人種イデオロギーの裏付けを探るためにチベットに送られた。ヒムラーはアーリア人の起源はチベットにあり、その優越性の証拠が同地で見つかると信じていたとされる。
とんでもない発想だと思う。
スペインの南米征服とかも、ぞっとする。
キリスト教から見れば異教徒の文明であっても、いきなり滅ぼしてしまって。
もったいない。
当時は、ローマ法王の祝福を受けた正統な行いだったのだ。
ペルーのリマの宗教裁判所博物館で、拷問して改宗させた様子が展示されているとか。
拷問の様子をインターネットで検索すると、震えがくるほど酷い。
1532年、スペイン人のピサロが、ペルー北部に侵入、征服を始めた。
裁判官の資格をもったスペインの宗教裁判所の使節がペルーに上陸し、正式に裁判所が置かれる前に、何度か宗教裁判が行われていた。
1570年、スペイン王の命により、リマの中央寺院で発足。
1584年、現在のボリバル広場に正式に設置された。
1820年、リマの宗教裁判所が完全廃止
二百五十年間も民衆を苦しめつづけた。
廃止の報を知ったリマの人々は、怒りを爆発させ大挙して裁判所を襲い、建物や設備を破壊した。
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