映画メモ-灼熱の魂
中東の歴史はまるでわからない。
覚えられない。
レバノンとヨルダンの違いもあまりわからない。
それなのに、見てしまった映画。
カナダ、ケベックは映画産業盛んで、興味深い映画がたくさん制作されているらしい。
フランス語の映画というだけでも耳に新鮮だ。
ハリウッド映画とは、かなり違う感じ。
俳優も知らない人ばかりなので、ストーリーに集中するのかもしれない。
灼熱の魂
2010年のカナダ映画。
レバノン生まれでカナダ・ケベック州に移住した劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲『焼け焦げるたましい(原題:Incendies、火事)』(2003年) の映画化。
2010年9月4日、ヴェネツィア国際映画祭とテルライド映画祭で上映された後、2010年9月17日からケベック州各地で公開された。2010年9月13日にはトロント国際映画祭で上映され、最優秀カナダ映画賞を受賞した。そのほかにはサンダンス映画祭や釜山国際映画祭でも上映された。
日本では2011年12月17日にTOHOシネマズ シャンテほかにて劇場公開された後、全国順次公開された。
第83回アカデミー賞外国語映画部門のカナダ代表作品に選定され、最終的な5本のノミネート作品にまで名を連ねた。
あらすじ:ケベック州に住む双子の姉弟ジャンヌとシモンは、亡くなった母親ナワルからの遺言を受け、未だ見ぬ彼らの父親と兄の存在を知る。そして遺言によりジャンヌは父親への手紙を、シモンは兄への手紙を託され、二人は中東の母親の故郷へ初めて足を踏み入れる。

体調が悪時には、絶対に見てはいけない映画。
打ちのめされます。
「歌う女」――かつて中東の監獄で、15年間、いかなる非道な拷問にも屈することなく、歌い続け、地獄を生き延びた女闘士がいた。
彼女の名は、ナワル。辺境の村で異教徒の男を愛し、子を孕み、「家族の名誉を汚した」と目の前で男を殺された女。産んだ息子は連れ去られ、村から追放された女は、やがて、息子を襲撃で殺されたと思い込み、テロに身を投じる。監獄に入れられ、レイプ拷問をうけた女は、身も心も傷つき果てた後に、釈放され、カナダ・ケベック州に亡命した――
女闘士ナワルが、その後、歳月を経て、亡命先のカナダのプールサイドで突如、意識を失い、そのまま死を遂げたという設定から始まる。続いて、双子―姉弟―の遺児が公証人に呼ばれ、遺言を言い渡される。それは、死んだと聞かされていた「父」と、存在すら知らなかった「兄」に、それぞれ一通ずつ、手紙を届けてほしいという内容の遺書だった。母に愛された経験のない弟(たぶん、それは、息子がその父を連想させたから。)は激しく拒否し、姉娘だけが、手がかりを求め、遠い母の故国へと旅立つ。一葉の写真をその手にたずさえて。やがてそれは、母が「歌う女」と呼ばれていた監獄内で撮られた写真だと判明する。
姉弟は、ナワルが服役中、拷問人にレイプされ妊娠・出産した事実を聞き出す。
兄の出生のことだと思ったがそうではなかった。
母が獄中で出産したのは男女の双子だった。
そうではない。。。と知った姉弟の苦しみ。悲しみ。
モスリムの父、キリスト教徒の母の子として生まれた兄は、孤児-モスリム側スナイパー-捕虜-洗脳-キリスト教側の拷問人と流転して、あろうことか母を拷問した男の名前を名乗っていた。
ナワルは、意識朦朧となったあと、強靭な意志の力で公証人に遺言の作成、執行を依頼たのだ。
それは、子どもたちのため。
3人の子ども達が生きていけるように。
自分が生まれて来たことを呪うことがないように。
母は、「どんなことがあっても、おまえを愛している。」と伝えるための遺言だったとわかる。
本来は、キリスト教徒とモスリムの かけ橋 になる可能性もあった生き別れた最初の息子は、ナワルの墓に参って深く頭をたれる。
彼の胸中はいかに。
卓越した冷酷なスナイパーになりたい。。。と願った息子。
指名手配書が全国に貼り出されたら、きっと母が見てくれる。。。と言っていたとか。
胸が苦しくなるラストシーンだ。
絶望ではなくて、ハッピーエンドでもない。
残酷で冷酷な事実を明らかにしたうえで、母は、子ども達に「存在することの意味」を与える。
母はあなたをこころから愛していると。
母であることは、こんなにも大きな責任を負わねばならないのか。
女性という「産む性」は祝福なのか、呪いなのか。。。。とさえ思う。
いや、祝福に違いない。
覚えられない。
レバノンとヨルダンの違いもあまりわからない。
それなのに、見てしまった映画。
カナダ、ケベックは映画産業盛んで、興味深い映画がたくさん制作されているらしい。
フランス語の映画というだけでも耳に新鮮だ。
ハリウッド映画とは、かなり違う感じ。
俳優も知らない人ばかりなので、ストーリーに集中するのかもしれない。
灼熱の魂
2010年のカナダ映画。
レバノン生まれでカナダ・ケベック州に移住した劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲『焼け焦げるたましい(原題:Incendies、火事)』(2003年) の映画化。
2010年9月4日、ヴェネツィア国際映画祭とテルライド映画祭で上映された後、2010年9月17日からケベック州各地で公開された。2010年9月13日にはトロント国際映画祭で上映され、最優秀カナダ映画賞を受賞した。そのほかにはサンダンス映画祭や釜山国際映画祭でも上映された。
日本では2011年12月17日にTOHOシネマズ シャンテほかにて劇場公開された後、全国順次公開された。
第83回アカデミー賞外国語映画部門のカナダ代表作品に選定され、最終的な5本のノミネート作品にまで名を連ねた。
あらすじ:ケベック州に住む双子の姉弟ジャンヌとシモンは、亡くなった母親ナワルからの遺言を受け、未だ見ぬ彼らの父親と兄の存在を知る。そして遺言によりジャンヌは父親への手紙を、シモンは兄への手紙を託され、二人は中東の母親の故郷へ初めて足を踏み入れる。

体調が悪時には、絶対に見てはいけない映画。
打ちのめされます。
「歌う女」――かつて中東の監獄で、15年間、いかなる非道な拷問にも屈することなく、歌い続け、地獄を生き延びた女闘士がいた。
彼女の名は、ナワル。辺境の村で異教徒の男を愛し、子を孕み、「家族の名誉を汚した」と目の前で男を殺された女。産んだ息子は連れ去られ、村から追放された女は、やがて、息子を襲撃で殺されたと思い込み、テロに身を投じる。監獄に入れられ、レイプ拷問をうけた女は、身も心も傷つき果てた後に、釈放され、カナダ・ケベック州に亡命した――
女闘士ナワルが、その後、歳月を経て、亡命先のカナダのプールサイドで突如、意識を失い、そのまま死を遂げたという設定から始まる。続いて、双子―姉弟―の遺児が公証人に呼ばれ、遺言を言い渡される。それは、死んだと聞かされていた「父」と、存在すら知らなかった「兄」に、それぞれ一通ずつ、手紙を届けてほしいという内容の遺書だった。母に愛された経験のない弟(たぶん、それは、息子がその父を連想させたから。)は激しく拒否し、姉娘だけが、手がかりを求め、遠い母の故国へと旅立つ。一葉の写真をその手にたずさえて。やがてそれは、母が「歌う女」と呼ばれていた監獄内で撮られた写真だと判明する。
姉弟は、ナワルが服役中、拷問人にレイプされ妊娠・出産した事実を聞き出す。
兄の出生のことだと思ったがそうではなかった。
母が獄中で出産したのは男女の双子だった。
そうではない。。。と知った姉弟の苦しみ。悲しみ。
モスリムの父、キリスト教徒の母の子として生まれた兄は、孤児-モスリム側スナイパー-捕虜-洗脳-キリスト教側の拷問人と流転して、あろうことか母を拷問した男の名前を名乗っていた。
ナワルは、意識朦朧となったあと、強靭な意志の力で公証人に遺言の作成、執行を依頼たのだ。
それは、子どもたちのため。
3人の子ども達が生きていけるように。
自分が生まれて来たことを呪うことがないように。
母は、「どんなことがあっても、おまえを愛している。」と伝えるための遺言だったとわかる。
本来は、キリスト教徒とモスリムの かけ橋 になる可能性もあった生き別れた最初の息子は、ナワルの墓に参って深く頭をたれる。
彼の胸中はいかに。
卓越した冷酷なスナイパーになりたい。。。と願った息子。
指名手配書が全国に貼り出されたら、きっと母が見てくれる。。。と言っていたとか。
胸が苦しくなるラストシーンだ。
絶望ではなくて、ハッピーエンドでもない。
残酷で冷酷な事実を明らかにしたうえで、母は、子ども達に「存在することの意味」を与える。
母はあなたをこころから愛していると。
母であることは、こんなにも大きな責任を負わねばならないのか。
女性という「産む性」は祝福なのか、呪いなのか。。。。とさえ思う。
いや、祝福に違いない。
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