「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族」シーズン1終了

WOWOW で放送していた「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族」シーズン1が終了した。


私は歴史小説が好きなのだけれど、軟弱なので、途中ギブアップしてしまうこともあるし、最後まで読んでも記憶力が弱いので、よく覚えていなかったりする。

アジャジャ。。。。(-_-;)


で、映画やドラマで視聴出来たらラッキーだと思っている。

「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」 塩野七生著 をハードカバーで読んだのだけれど、どうも途中で投げ出してしまったようだ。

たぶん、私は20歳ソコソコでこの本を読んでいるはずなのだ。
体力も気力も充分にあったころに読んでもこのテイタラク。
今のボケボケぶりも無理はないか。。。。。


「ボルジア家 愛と欲望の教皇一族」シーズン1は良かった。
配役も良かったし、衣装や建物も充分満足だった。

シーズン2の放送は、来年2013年まで待たなくてはならない。
待ち遠しい。

1492年にロドリーゴが教皇選出されて、1507年にチェーザレが戦死する。
チェーザレはたった31歳で亡くなっている。


395年、ローマ帝国が、東ローマ帝国と西ローマ帝国とに分割。
1861年3月17日、ヴィットリオ・エマニュエレ2世がイタリア公国の樹立を宣言するまで、イタリアはずっと内戦が続き、小さな国に分割、独立しては統合される時代が続いていたのか。。。。


チェーザレ ボルジアが長命であったなら、イタリア統一は早まっただろうか。


 
以下は、メモーー

「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」 塩野七生著

ーーー内容ーーー
1492年、チェーザレ・ボルジアは17才になる直前。ローマからの使者がやってきて、チェーザレの父が法王・アレッサンドロ6世となったことを告げた。チェーザレはローマへ赴いた。
アレッサンドロ6世は枢機卿会議を開き、新たな枢機卿を任命する。その中に、チェーザレも含まれていた。法王の庶子のチェーザレが枢機卿となった。

1494年、フランス軍がイタリアに侵入した。
背後に反ボルジアの気に燃えるローヴェレ枢機卿がいた。
法王・アレッサンドロ6世の政治力でシャルル8世の要求であるナポリ王位継承権、十字軍遠征計画、宗教会議開催には一切触れずに、シャルル8世を懐柔してしまう。

1497年、アレッサンドロ6世のもう一人の息子、ホアンが暗殺される。
ホアンは僧籍にはいることなく、武人として成長していたが、放蕩者。
犯人としての噂が立ったのは実の兄弟のチェーザレ。

1498年、チェーザレは枢機卿の地位を捨て、還俗。
還俗してフランス王家との姻戚関係を結んだ。
次に法王領内の小僭主達を制圧していく。
ほぼ2年間でチェーザレが制圧したのは、イーモラ、フォルリ、リミニ、チェゼーナ、ファノ、ファエンツァ。

1502年、マジョーネの反乱
チェーザレ配下の傭兵隊長達が反乱を起こした。。
彼らはそれぞれに小国の僭主であり、次に標的にされるのは、自分の地領ではないか?彼らは反チェーザレを標榜して集結する。武人の出自であった傭兵隊長たちは、僧侶出身であるチェーザレの、目ざましい進撃に嫉妬していたのか。世俗化した教会や聖職者に対する軽蔑があったか。
チェーザレは穏和な態度で傭兵隊長達を油断させ、自軍から離れてシニガッリアの城内に入ったところを、捕縛させた。これと同時に傭兵隊長達が率いた軍をチェーザレは攻撃して壊滅させた。

チェーザレにとって、父であるアレクサンデル6世の権威と財政的援助が最も大きな後ろ盾であった。アレクサンデル6世自身も教皇の権力に匹敵する勢力を持っていたコロンナ家やオルシーニ家を打倒する事にチェーザレの勢力を活用した。

1503年7月、チェーザレは軍を率いてローマへ入ったが、8月にアレクサンデル6世と共に原因不明の重病に陥った。
8月18日、アレクサンデル6世が死去。チェーザレは重体。

アレクサンデル6世の後継教皇となったピウス3世は即位後1ヶ月弱で死去。
ピウス3世の後継となったのはかつて父と教皇の座を激しく争ったジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(ユリウス2世)。その際にチェーザレは「教皇軍最高司令官」及び「ロマーニャ公」の地位の確保をユリウス2世と密約して、教皇就任を後押しした。
同年11月、チェーザレはローマからロマーニャへの帰路に付いたが、密約を反故にしたユリウス2世の命によってチェーザレは捕縛されてローマへと移送された。

1504年2月、チェーザレの旧領のイーモラやチェゼーナの降伏をチェーザレが命じる事と引き換えにチェーザレを釈放する事でユリウス2世と合意。
4月にチェーザレはナポリへ向かった。ナポリは当時スペインがフランスに代わって支配していたが、変心したユリウス2世とスペインの間の密約によりチェーザレは再び捕縛された。


同年年8月、弟・ホアンの殺害容疑でチェーザレはスペインへと移送され、当初はアルバセテ近郊、その後バリャドリッド近郊のメディナ・デル・カンポにあるモタ城に収監された。この間にルイ12世はチェーザレに与えたフランス国内の領土を没収した。

1506年10月、チェーザレは収監されていたモタ城を脱出。

同年12月3日に義兄・ファン3世の統治するナバラ王国へ到着。

1507年3月、ナバラ王国とスペインとの戦闘でナバラ軍の一部隊を率いてチェーザレは参戦。戦死した。


チェーザレの逃げこんだ義兄の国ナヴァーラ王国は、スペイン王フェルナンド2世を後ろ盾とする、レリン伯ルイ・ド・ボーモンとの戦いが続いていた。チェーザレはナヴァーラ軍の総司令官に任命され、戦線に立つ。

ヴィアナはレリン伯によって占拠されていたが、チェーザレは街を奪還する。
レリン伯の軍はメンダヴィアに本陣を置き、城塞に立てこもった。チェーザレは城塞を攻囲する。レリン軍は籠城を余儀なくされ、飢えつつあった。

1507年3月11日深夜。
激しい雷雨が陣を襲い、チェーザレは警備の兵を移動させた。
レリン軍はこの隙を突き、1ヶ月分の食料を城へ運び込むことに成功する。

夜明けが近づいた頃。
チェーザレは敵の動向に気づく。彼はソラーナ門をくぐり、レリン伯の本陣であったメンダヴィアへ向けて馬を駆る。
バランカ・サラダと呼ばれるところまで走った時、後に続いているはずの兵たちは後方に取り残されていた。そしてそこにはレリン軍の兵が待ち伏せしていた。

嵐の中始まった戦闘で、チェーザレは敵軍の武将ガルシア・デ・アグレダとペドロ・デ・アーロに追いつめられる。(甲冑の重さのせいだと言われる。)
チェーザレは果敢に抗戦するが、3月12日早朝、20ヶ所以上もの傷を負ってこの地に倒れた。
敵兵は武器も甲冑も衣服までも剥ぎ取り、遺体は血まみれのまま裸で捨て置かれた。義兄のナヴァーラ王に発見されるまで。



チェーザレの遺体はヴィアナ (Viana) にあるサンタ・マリア教会に埋葬された。

なお、娘のルイーズはトレムワイユ公ルイと結婚。
その子孫はブルボン=ビュセ家 を興し、チェーザレの死後もその血脈は保たれる事となった。



マキャヴェッリはフィレンツェ共和国から派遣され、チェーザレとの交渉の最前線に立ち、チェーザレの行動をつぶさに観察していた。マキャヴェッリは、チェーザレの死後、外国に蹂躙されるイタリアの回復を願い、統治者の理想像をフィレンツェのメディチ家に献言する為『君主論』を執筆した。マキァヴェッリは『君主論』の中で、「チェーザレは高邁な精神と広大な目的を抱いて達成する為に自らの行動を制御しており、新たに君主になった者は見習うべき」とし、「野蛮な残酷行為や圧政より私達を救済する為に神が遣わした人物であるかのように思えた」と記した。



?????チェーザレの遺体は存在するのか????????

サンタ・マリア教会入口前の地面に埋められている、チェーザレの墓碑。
1953年作成

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1507年3月12日早朝、バランカ・サラダ(la Barranca Salada)で戦死したチェーザレは、義兄のナヴァーラ王ジャン・ダルブレによって手厚く葬られる。
盛大な葬儀が行われ、サンタ・マリア教会の主祭壇の下に、アラバスター(雪花石膏)で作られたゴシック様式の霊廟が置かれた。


16世紀半ば、「神聖な教会の中に、チェーザレのような残虐非道な人物の墓があることは、神への冒涜である」と考えたカラオラ(Calahorra)の司教によって、墓碑は取り壊されてしまう。
遺骸は「人獣を問わずに蹂躙した罪のつぐない(para que en pago de sus culpas le pisotearan los hombre y las bestias)」として、人々の足蹴にされるよう、教会前のマヨル通り(Rúa Mayor o Rúa de Santa María)(現在のCalle de Primo de Rivera)へ移された。
通りの下に埋められた。


1884年フランスの歴史学者シャルル・イリアート(Charles Yriarte)はヴィアナ市の許可を得て、チェーザレの埋められていると言われる場所を掘り返し遺骨を確認した。
しかし墓標が置かれることもなく、骨はそのまま埋め戻されてしまう。


1945年2月27日今度は多くの歴史学者や専門家の支援を得て、再びチェーザレの墓は掘り返される。
骨は分析されチェーザレのものであると認定された.
1945年当時の鑑定能力は信頼できるのだろうか。



1953年 現在の石碑の下へ埋葬された。
白大理石にはこう刻まれる。

「CÉSAR BORGIA
GENERALÍSIMO DE LOS EJÉRCITOS
DE NAVARRA Y PONTIFICIOS
MUERTO EN CAMPOS DE VIANA
EL XI DE MARZO DE MDVII」


「チェーザレ・ボルジア
ナヴァーラ軍と教皇軍の
総司令官
ヴィアナの野に死す

1507年3月11日」


20世紀に入ると、チェーザレとボルジア家への歴史的評価は変化し、見直されていく。
チェーザレはナヴァーラの独立を守るために戦死した英雄とも見なされるようになる。


歴史は、あくまでも勝者の都合の良いように記録されている。
勝者とはその時に多勢であったということだけだし。


後世に冷静な視点が加われば、書き直されることもあるのだ。


ボルジア家 愛と欲望の教皇一族 -The Borgias-■ TVドラマ2011年~/カナダ・アイルランド・ハンガリー


ジェレミー・アイアンズ (ロドリーゴ・ボルジア)

よりも、私は、

フランソワ・アルノー(François Arnaud) (チェーザレ・ボルジア)
ホリデイ・グレインジャー(Holliday Grainger)(ルクレツィア・ボルジア)
デヴィッド・オークス (David Oakes)(ホアン・ボルジア)


に、とても「見てお得感」を感じる。



フランソワ・アルノー(1985)フランス系カナダ人。
フェイスブックもフランス語。。。(-_-;)
英語の記述もあるけど。
カナダとフランスで育っていて、スペイン語も大丈夫で、トワイリンガルとか。
父親は、弁護士で不動産開発業者とか。
さぞ恵まれた環境でノビノビ育ったのでしょう。
インタビューで、「きょうだいがいるの?」と訊かれて、「妹がいる。なにものからも守りたい。誰かが彼女を傷つけたら、僕もそいつを刺してやる。」と言っている。
もともと妹想いのお兄さんなのか、チェーザレの役をして影響を受けたのか。

乗馬は12歳のころに少し乗っただけで、未経験だったから。特訓した様子。
それでも、彼のNG場面はほとんど落馬のシーンだったと本人が言っている。
うまく編集してくれて、ありがたい。。。。ですって。

チェーザレ役では眼光鋭く、危険な男で、母を想い、妹を慈しみ、貴婦人を誘惑する。
自らの手で殺人も行う。

カナダ映画(フランス語)で、ゲイの恋人役、ものすごく年上の女性の恋人役ではとても可愛らしい様子。
クリップを見ただけだけど。
http://fr-fr.facebook.com/pages/Fran%C3%A7ois-Arnaud-Acteur/256270355331


ホリデイ・グレインジャー(1988)英国人
学校の成績がとても良かったのかな。
美しくて、賢くて、天下無敵よね。

「ルクレツィアはゴージャスな金髪だけど、私ははブルネットなの。
だから、撮影期間中は、毎週脱色するの。」とのこと。

13歳で最初の結婚を強いられるルクレツィアを演じている。
可憐で無垢な少女が傷ついていく様子は痛々しい。
そしてルネッサンス時代のコスチュームがとても似合う。美しい。
父と兄の政略に利用され続けたわけだけど、きっとそれだけではないのだろう。
子を産めば、愛しい、政略結婚で始まってもやさしい夫にめぐり会えば守りたい。
これからの展開が楽しみ。
http://www.facebook.com/pages/Holliday-Grainger/203071229714810


デヴィッド・オークス(1983)英国人
父親はソールズベリー大聖堂の司教。
本人も司教学校を卒業したのかな。
王子様と同級生のエディレッドメロンと、どっちが坊ちゃん度が高いのだろうか。

私は見ていないけれど。日本でも昨年放送された、「ダークエイジロマン 大聖堂」に出演していた。
ウィリアムという役名で悪役らしい。高い評価。
DVDを見つけたら借りてきましょ。

演技だけでなく、企画、監督、製作者になる様子。



ホワンは、シーズン2で顔つきが変わって、様子が変わって、母親に「ホアン、いい子なのに。何があったの。」なんて言われてしまう。
暗殺されてしまうことは史実だから仕方がない。
暗殺者は誰か。。。史実では不明だけれど、シーズン2では殺害シーンがある。
ホワン、哀れでならない。
http://www.facebook.com/TheActorDavidOakes



若さと才能に恵まれて眩しく輝く青年たち。
私の鑑賞目線はすっかりオバサンのそれになってしまった。
年齢は確かにオバサンだけど、目線はそうならなくてもいいのにね。


撮影はハンガリーのスタジオ。
旧ソ連の支配が強い時代に発展から取り残された部分があったからこそ、今に活かせるのかな。
http://theborgias.wetpaint.com/page/FILMING+LOCATIONS


アメリア、カナダでは、既にシーズン2の放送が終わって、(6/17 pm9:00 10話)今はシーズン3の撮影中らしい。
フランソワ・アルノーがインタビューで「8日間だけ地元に帰って、それからハンガリーに行く。6/23から。」みたいに答えているような。

シーズン3も10話ということ。
どこまで描くのかな。

アレクサンデル6世の死で終わらないで、チェーザレの戦死まで描いてほしいな。







日本で同時期に放送された「ボルジア 欲望の系譜」
(2011年秋にイタリア、フランス、ドイツ で放映)と見比べてみた。
こちらはちょっとシンドイ。苦しい。。(-_-;)

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Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

どちらの言葉も、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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