健常者にはなれないけれど 「社会人の障害者であるわが子との日々(1297)」
「健常者にはなれないけれど、社会人には、本人が自覚したときからなれる。」
というのは、誰の持論だったか。
次男をみていると、本当にそうの通りだと思う。
次男には、できないこと、わからないことが山程あるのだけれど、できることを探すとけっこうある。
助けてもらえると、できることは増える。
増えて、上手に出来る。
「自覚する。」って何を自覚することだろう。
「自分には出来ることがあるはずだ。」と気がつくことなのか。
「自分にはわからないことが山程ある。」と気がつくことなのか。
私は両方だと思う。
次男は、「僕は障害者だ。」と気がついているべきだと思う。
幸い、次男は幼いころから気がついている。
それが、次男を生きやすくさせている。
障害者だから、助けてもらわねばどうしようもないことがある。
助けてもらえると、出来ることがたくさんある。
自分の為だけじゃなくて、誰かのお役に立てることもある。
次男はそれを知っていると思うのだ。
次男に、知能指数や会話能力とは別の智慧があっても不思議ではない。
次男には、超えられない能力の壁がある。
それは事実で変えようがない。
それでもなお、次男は自分を「大事な子」だと思っている。
ありがたいことに、たくさんの人達に大事にされているから。
健常者にはなれないけれど、社会人にはなれる。
自分に障害があることと、自分が「大事な人」であることを、自覚すれば、きっとなれる。
コメントの投稿
Re:健常者にはなれないけれど(07/14)
生きている喜びへと繋がっているようですね。^^
Re[1]:健常者にはなれないけれど(07/14)
できることがあると、嬉しいと感じますよね。
>居場所があり、自分の役割を感じる。
>
>生きている喜びへと繋がっているようですね。^^
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