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可能性は日常の中にある。 「社会人の障害者であるわが子との日々(1297)」

次男は、毎週月曜日の朝にシーツを取り替えます。

金曜日、土曜日、日曜日の夜につかって、月曜日の朝に取りかえるのです。
パジャマは、汗をかく期間は毎日洗濯します。
次男が洗濯して、次男が干して、取り入れて、たたみます。

自分のマンションの生活でもヘルパーさんに指導してもらって、曜日ごとに、部屋の掃除、トイレの掃除、衣服の洗濯、足ふきマットの洗濯等々をこなしているようです。

小さいころからおだてて、励まして、よく手伝わしていたので、今の暮らし方が拓けたのだと思います。

親の死後は、入所施設かケアホームと思っていました。
それも、本人が若いうちに挑戦させなければ、成功しないように思っていました。
しかし、要介護の老人と同じく、入所施設もケアホームも可能性は低いのです。
















日常の生活の中に可能性があるのだと思います。

将来の可能性は、療育訓練の中だけにあるのではないと思います。
だから、「専門家の療育訓」を受ける機会があった、無かった。」は、本人の成長をそんなに大きく左右しないように思います。

専門家、支援施設の存在を否定するものではありませんが、それがなかったから、利用できないから、我が子の可能性が拓けない。。。とは思わなくてよいのだと思います。

良い学校、良い施設に通わせられなかったから、ダメだ。。。。と思わなくてよいと思います。


次男くん、ピンク色のタンクトップと半そでの上着を着ています。
年齢の近いヘルパーさんからいただいたようです。
イマドキの青年に見えます。(^.^)

コーディネートしてもらえると、次男本人も安心で、うれしいのだと思います。

「かっこいいねぇ。」と言ってやると、うれしそうです。
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Re:可能性は日常の中にある。(08/30)

タイトルの言葉、ほんとにそうですね。
重度児のヒロでも、日々の生活の中で繰り返していくうちに覚えていってくれること、いつのまにか会得できていることが思いのほかあることに驚かされることも・・。

次男くんも日々いろんなことにチャレンジして覚えて上手になっていかれるのですね。

Re[1]:可能性は日常の中にある。(08/30)

ドリカムハウス1106さん

「療育施設」「療育訓練」がないことを気にしすぎるのは、あまり意味がないですよね。

あくまでも、教育の責任者は親なので、一番勉強すべきは親で、親の責任でプログラムを組立てていくべきで、施設、療法の利用の仕方も親の責任で決めればよいことですものね。

責任重大で、思い悩むけれど、思い悩むのが親の仕事ですよね。

これからも、頭が禿げるくらい悩むのだと思います。
(-.-)  ヤレヤレ



>タイトルの言葉、ほんとにそうですね。
>重度児のヒロでも、日々の生活の中で繰り返していくうちに覚えていってくれること、いつのまにか会得できていることが思いのほかあることに驚かされることも・・。

>次男くんも日々いろんなことにチャレンジして覚えて上手になっていかれるのですね。
-----

可能性は日常の中にある。

そうですね
将来、就労・・・ ほんとにむずかしいです。

高齢者も施設が少なくてなかなか入れない現実があります。
巨大な施設を作っても予算がかかって、効率がわるくて、介護もですが予算がどこにつかわれたの? 天下り団体? なんて思います。

フロップステーションにもいかれたのでしょうか?
施設だと大阪市障害者就業・生活支援センターに何度か行きましたが、仕事ができそうな人があつまっていますが、働くのはたいへんです。

仕事のための技術は、たとえば紙器をつくるところでは、その作業は特化していて一般企業のベテランと同じですが、仕事につくのはきびしいようです。

施設もたくさんありますが、入っていない人のほうがはるかに多いです。

就労施設の存在もむつかしいですね

施設の家賃、光熱費、職員の人件費が補助金からでていて、売上から材料費を引いたものが作業工賃になりますが、最低賃金の約700円を払える施設はほとんどないようです。

ふつうの経営者が障がい者を雇ったほうが効率はよさそうです。仕事の技術も含めて、なんのための施設? と考えることがあります。

家庭でのいろいろなことは、家庭教師と英才教育?
施設は学校で団体生活とか、試験で競争みたいなのがあるのかも・・・

施設のメリットは、親が料亭をやっていて、子供の修行は親の店じゃなく、他人のやっている店で修行させるようなものかも?

私もよくわかりません。

Re:可能性は日常の中にある。(08/30)

先が見えない中でも、不意に霧が晴れる瞬間があるんですよね。

悩んでも、考えても、実践ですね。

日々精進でしょうね。^^

Re:可能性は日常の中にある。(08/30)

アミティエのあみちゃんさん

不透明です。


>そうですね
>将来、就労・・・ ほんとにむずかしいです。

>高齢者も施設が少なくてなかなか入れない現実があります。
>巨大な施設を作っても予算がかかって、効率がわるくて、介護もですが予算がどこにつかわれたの? 天下り団体? なんて思います。

>フロップステーションにもいかれたのでしょうか?
>施設だと大阪市障害者就業・生活支援センターに何度か行きましたが、仕事ができそうな人があつまっていますが、働くのはたいへんです。

>仕事のための技術は、たとえば紙器をつくるところでは、その作業は特化していて一般企業のベテランと同じですが、仕事につくのはきびしいようです。

>施設もたくさんありますが、入っていない人のほうがはるかに多いです。

>就労施設の存在もむつかしいですね

>施設の家賃、光熱費、職員の人件費が補助金からでていて、売上から材料費を引いたものが作業工賃になりますが、最低賃金の約700円を払える施設はほとんどないようです。

>ふつうの経営者が障がい者を雇ったほうが効率はよさそうです。仕事の技術も含めて、なんのための施設? と考えることがあります。

>家庭でのいろいろなことは、家庭教師と英才教育?
>施設は学校で団体生活とか、試験で競争みたいなのがあるのかも・・・

>施設のメリットは、親が料亭をやっていて、子供の修行は親の店じゃなく、他人のやっている店で修行させるようなものかも?

>私もよくわかりません。
-----

Re[1]:可能性は日常の中にある。(08/30)

milkyway.さん

理論に振り回されても無意味ですしね。


>先が見えない中でも、不意に霧が晴れる瞬間があるんですよね。

>悩んでも、考えても、実践ですね。

>日々精進でしょうね。^^
-----
プロフィール

Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

我々にとって深遠なものは、逆の相の下に隠されている。生は死の下に、愛は憎しみの下に、義は罪の下に、力は弱さの下に隠されている。

いずれも、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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