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2010-2-6-クリンもだん美術教室1:00クラス 「社会人の障害者であるわが子との日々(1297)」

教室に様子を見に行くと、次男がかなり「変な人」になっていました。
小刻みに身体を動かして、ハイテンションで大きな声で独り言を言って止まりません。

丁寧に積み重ねて、つづれ織れのように隙間なく、隙間なく織り上げてきたものが、一撃で崩壊するのです。
残念ですし、理不尽に思います。

他害行為を頻繁に起こしてしまう人から被害にあったとのこと。
職員以外では、利用者に掴みかかるのは次男だけなので、確信犯的注意喚起行動なのだと思います。
狙い澄ましたように、無防備な一瞬にくらわせるパンチは強力です。



美術教室の先生方も、デイサービスの指導員さん達も、心を砕いてくださっていますが、それでも不測の事態が起こることがあります。

これが現実です。
どんなに頑張っても手が届かない。。。ことがあります。
どんなに気を配ってもわずかな隙を衝かれます。

知的障害があるとはこういうことでしょうか、否、知的障害や自閉症以前の問題があるのかもしれません。
人を選び、警戒している隙をついて起こす行動は、”発作”とは言えないでしょう。
何もかも、「障害」のせいにするのは腑に落ちません。

とても残念です。



以前に、一度、私の目の前で事が起こった時に、次男は、「おう!やったろうやないか!」という表情を浮かべて、次男に突然掴みかかった人に向かっていこうとしました。

サッと指導員さんが間をさえぎって、次男を別の場所に誘導して、なだめてくださいました。



いつもはおとなしい次男の顔に、初めて浮かんだ表情でした。
まっとうな反応だと思って、嬉しかったです。


でも、知的障害がある自閉症の青年同士が傷つけあったとして、なにか良いことがあるでしょうか。
次男に反撃することを覚えさせたくありません。
反撃したところで、相手は自分の行為に非があるとはわからないでしょう。

兄がいて掴みあいのケンカの経験がある次男は、相手に痛い思いをさせる加減を知っているかもしれませんが、兄弟のいない人、それも知的障害があって自閉症でもある人がそれを経験的に知っているとは思われないので、直接ケンカさせるメリットはないように思いますし、危険だと思います。


2チャンネルあたりで、「○○は手加減を知らないから恐ろしい」と書かれるのはこのことだと思います。
それが、世間一般の「知的障害者のイメージ」になっているのでしょう。

障害者の足をひっぱるのは、別の障害者であることは、多々あることだと思います。


成人してしまっては、「手遅れ」と言うこともあるのだと思います。
現場の努力だけでは成果が望めないこともあるのではないか。。。と思います。


学齢期を終えて、学校と言う場所を失って、煮詰まってしまう人もいるでしょう。
養護学校(現:特別支援学校)ほど、設備でも職員の数でも恵まれている場所はないと思いますので、そこを卒業してしまうと、「どこに居ても不満」という人もいると思います。
その不満はどうしようもないものなのでしょうか。
現場の工夫だけではとっくに限界が来ているのではないでしょうか。



言わば、2次障害状態である「変な人」状態(ハイテンションの独り言が止まらない)でも、セッセッと手を動かして作業を続ける次男は痛々しいです。

次男の自助努力だけでは、普段の次男に戻ってから帰宅することはできないでしょう。
さて、どうしたものか。

気持ちが沈んで、焦ります。((+_+))











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プロフィール

Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

我々にとって深遠なものは、逆の相の下に隠されている。生は死の下に、愛は憎しみの下に、義は罪の下に、力は弱さの下に隠されている。

いずれも、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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