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LD 「障害児の親として(10946)」

学習障害は、基本的に知的障害をもちません。

次男が幼児のころに、自閉症、知的障害、言語発達遅滞である次男の療育のヒントになるかもしれないと思い、LD児親の会に入会していました。

親子で参加する運動教室などに参加すると、言葉がほとんどない次男とちがって、言葉のある子の様子は、観察するほどわかりやすく思えました。

子ども達を観察していて??と感じることがありました。

私の感想では、参加している子ども達の割合は、

知的障害:80%
自閉症:10%
LD:10%

でした。

アドバイサー、講師として関わっている先生方に確かめると、先生方もそう判断しておられました。

明らかに、知的障害とわかる子の母親は「うちは、LD児です。」と何度も繰り返すのを聞いて、彼女の複雑な立場を察しました。
自分が、悲しいのだろうし、苦しいのだろうし。
子どもが不憫に思われてならないのだろし。

子どもに、「ぶ厚いダッフルコートの上から痒いところを掻く」ようなことをしているなぁ。。と思いました。
著名な先生方の講演会、勉強会等に参加させていただいて、勉強させていただいて大変勉強になりました。
ありがとうございました。

私は、自閉症、知的障害、言語発達遅滞である次男の母親として生活しようと思いました。

★私が当時感じたことは、私にとっては真実ですが、あくまでも私見です。
そして、私は今、現在のLD親の会等についてはなにも知りません。
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Re:LD(09/13)

私も行ったことがあります。やはり感想は、自閉症と同じだと思いました。本人さんにはいえない事ですね。

個人的な思いを述べさせて頂くとして・・・

「障害」とは、一般的な生活と言われることが
周囲の方たちのようにする事が困難である。
とみなされた場合に認定されるものだと私は理解しています。
日常生活を通常に送るに困難を要すると医師が認めたら
障害者手帳が交付されるわけですよね。
親が「この子は他の子と違うんじゃないかしら?」と心配して
「ここはどうでしょうか?」と医師に相談してその診断の結果に付く
「〇〇障害」というものは、他の方と多少違いますね という程度のものとして
私は理解しております。
一昔前は、誰もが気にしませんでした。

社会生活がそれでも送れており、仕事をやれ、生活をちゃんとやれている方が
障害と言うにはムリがあります。
文字が横に読めようが立てに読めようがその方の勝手ですし
字が下手だろうがグチャグチャにしか書けなかろうが
通じたらよいのです。

親さんたちにとって、我が子と同じ高級レベルの方 という存在は
ある意味ステイタスを与えてくれるものがあるでしょう
親心でしょうし、ご自分を励ます材料になると思います
それを良い悪いとは他人が言えるものではありません
しかし、障害を持っていようがいなかろうが、育て方は同じです。
火の国のHAHAさんの捉え方が的を得ていると思いました。
しっかり足元を見て、我が子と対峙しその障害から目を反らさず
現実を踏まえ認め、人間として生きる上で大切なことを
身に付けてあげて欲しいと願います。
その上では、どんな憧れを持ち希望を持たれようとも
それがその原動力となるのなら、私は応援致します

Re[1]:LD(09/13)

akst237s5さん
>私も行ったことがあります。やはり感想は、自閉症と同じだと思いました。本人さんにはいえない事ですね。
-----
それぞれに”大人の事情”がありそうですね。

Re:個人的な思いを述べさせて頂くとして・・・(09/13)

南の島のおばちゃんさん
人、それぞれなんだと思います。
それでも、子どもを「焼け野原」のような状態にしてしまってから「免罪符」のように、「うちの子には障害があります。」って言われるのは、迷惑だなぁ。。。といつも思います。
プロフィール

Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

我々にとって深遠なものは、逆の相の下に隠されている。生は死の下に、愛は憎しみの下に、義は罪の下に、力は弱さの下に隠されている。

いずれも、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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