回収完了 「障害児の親として(10946)」

回収完了。

次男がデイサービスで描いた絵が宅配便で届いた。
着払いで1370円なり。
これが最終のはずだ。

複数回そう思ったことがあるけれど、今度こそ、最終のはずだ。


次男は、美術教室で、4年間以上も立体のクッションを作っていたので、先週の土曜日に受け取って、紙の大きさを分別して紐でくくり上げて、宅配便で発送してくれるように手配した大量の絵は、すべてデイサービスで描いたものなのだった。

とんでもなく、大量である。
そして、1枚も、まともに描き上げた絵がない。

次男の時間が無駄にされたように感じる。
とにかく大量なのだ。
なぜにこれだけ大量のしかも同じ絵があるのか。


活動支援B型:障害のある人に対して、通所により、創作的活動の機会を提供し、社会との交流の促進、日常生活に必要な便宜の供与等を実施することにより、自立した日常生活または社会生活を営むことができるよう地域生活を支援します。


という説明を受けたのだけれど、実態が伴わなかったのだ。
「美術指導を行います。」と言うことであった講師は、そこには居なかったらしい。

素人の指導員が、「絵、買いとき。」と利用者に紙と色鉛筆、クレヨンを与えたのだろう。
一番、お手軽な関わり方であったのだろう。

デイサービスの連絡帳に「午前、絵画活動。午後、絵画活動」とあった日がたくさんあった。
「美術指導を行います。」ということで職員になった講師が、「とにかく絵を描く時間を増やします。」と言っていたが、彼はそこには居なかったらしい。

素直で頑張る人の次男は、「描かなければならない。」と思ってひたすら描いたのだろう。
適切なテーマもモデルも与えられなかったわけだ。

ともかく、描けと言われたら、描かなければならないとがんばる次男なので、同じ絵ばかりを描いて時間を潰していたのだろう。

よくもこれだけ無意味な時間を延々と次男に設定してくれたものだ。


これは、時間の屍だ。
これは、 「静かな虐待」 だ。


「その時間をしのぐ為だけの絵」と見える大量の絵を前にして、次男が消化しなければならなかった時間を想う。
こうして、「知的障害のある自閉症」は、「知的障害のある精神障害者」に変化させられていくのか。
次男は、気に入らなくても、職員を殴るタイプではない。噛みつくわけでもない。
我慢するのだ。
その次男の上に職員は、アグラをかいたのだ。
怒りがふつふつと湧いてきて眠れない。



きっと、私は、ふつふつと湧いてくる怒りを、何日も何ヶ月も持て余すのだ。

それでも、息子たちの顔を見れば、「お腹空いてない?」と訊いてやって普通に日常生活をつなげていくのだ。




もっと早くに気がついてやるべきだった。
私が地域活動支援センターに様子を見に行く時間はほんの一部なのだ。
見えていない時間はこうだったのだ。
残念でならない。





保護者に行うと言ったことを実践していなかった時、普通の子であれば、「あれ?聞いていたことと、なんか違うなぁ。絵の先生、今日も居なかった。音楽?ずっとしてないよ。」と言葉で親に訴えたであろう。

知的障害があり、言葉が拙い利用者にはそれができなかった。
出来ないことを職員達は充分に知っていた。



複数の職員達に、「保護者に行うと言ったことを実行していないのは、信頼を裏切っているのではないか。」と感じる仁義はなかったのだ。

誰も、保護者に報告しなかった。
今もしていない。
私が感じ取っただけだ。


もっとも、他の保護者は、私ほど子に関心はないようだ。
大人になって身体の大きくなった知的障害者を預かってくれさえすれば、それでありがたいのか。
家族がそう思ってもおかしくない人達がいるのは、真実であるけれど。

私もいつか、次男のことを、「とにかく出かけてくれたらOK!」と思う親になるのか。
イヤだな。
私がそうなるまでにあと何年あるのだろうか。



私は、次男には、まだわずかながらに「伸びしろ」が残っていると感じるので、この1年余りの時間は、私は残念でならない。

健康な知的障害者の寿命は長い。
しかし、成長、学習の幅は成人後は小さくなる。
いや、成人後どころか、学齢終了後に一気に崩れていく人がどんなに多いことか。
青年期は大事だ。


親はいつまでも生きてはいない。
いつまでも、元気ではない。

やがて、親がケアホームに入所しなければならない日が来る。
その日が来る前に、気力が衰えて、子の力になってやれなくなる日が来る。
60歳までかな。
その日を真近に感じながらの1年間という時間は大変に貴重であったのだ。



地域活動センターは、職員に迎えた美術教室の講師が、美術教室の大部分の受講生を引き抜いて新教室を設立したことを大変に心外に感じているらしい。
元講師に対して「最低の仁義を守ってほしい。」と思っているらしいけれど、地域活動センターも仁義を持ちあわせていない。
地域活動センターのデイサービスで、1年間、保護者に述べたことを実行できなかったことを詫びる言葉はない。


双方は、同じ人種なのだ。
双方とも、知的障害者の擁護者だと思っているところがおかしい。
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後悔の思い 「社会人の障害者であるわが子との日々(1297)」

「大阪城 城灯りの景」に行ってきました。
お城の展望台からの夜景がきれいでした。

野外コンサートでゴスペルグループの歌声を聴きました。
次男は手拍子をして身体を揺らして聴いていました。
ニコニコしている次男の様子を見て、やっぱりこの人は音楽に親しませてやりたい。。と思いました。
私の胸の中に、後悔の想いが、原爆投下のキノコ雲のようにムクムクムクっと生き物のように立ちあがりました。

私は、次男の時間を無駄にしてしまいました。

















次男がお世話になっていた市地域活動支援センターは、活動支援B型で

「障害のある人に対して、通所により、創作的活動の機会を提供し、社会との交流の促進、日常生活に必要な便宜の供与等を実施することにより、自立した日常生活または社会生活を営むことができるよう地域生活を支援します。」

ということでした。



2年6カ月間くらいは、音楽関係のお仕事をされている指導員が2名いて午前中に音楽活動を提供していただきました。
去年の6月に指導員の1名が体調不良から退職されてから、音楽活動の提供はなくなりました。




次の指導員は、折り紙、書道の時間を作ってくれましたので、折り紙の本、ビデオ、ドリルを寄付しました。
書道の筆、墨、大型の下敷き、半紙を寄付しました。
残念ながら、老親の介護のため、短期間で退職されました。




絵画活動は、美術教室の講師の1名が地域活動支援センターの職員になって、絵画活動を提供するということでしたが、様子を見にいくと、利用者が図鑑を見て絵を描いていて、当の絵画活動を提供するということであった職員は居ませんでした。

その職員は、今夏8月中旬に美術教室の90%以上の生徒を引きぬいて、新たに自分の教室を立ちあげて、地域活動支援センターを退職されました。

私は、クーデター(?)が起こる前に、次男を美術教室を辞めさせました。
これは、おかしい。。。と3回思ったので、辞めさせました。


2008年3月に現在の場所に地域活動支援センターが引っ越してから、精神障害者に昼食の提供サービスが始まりました。
「昼食の提供サービス」をすると、伝えられましたが、いつの間にか、精神障害者の皆さんは、デイサービスの開所時間中ずっとおられるようになりました。

利用者の人数は、知的障害者と精神障害者が同じくらいになりました。

指導員は2名のままでした。


知的障害者はPCでyou tubu を見ている時間が増えたように思います。
言葉を持たない者は、文句を言わないから不満がないわけではありません。

指導員と精神障害者が、次男ともう一人の知的障害者に「将棋を教えましょう。」と言いだしたのは、指導員と精神障害者の、ただの軽口なのだろうと見当をつけていました。
逆さにとって、真剣な試みにしようと思いました。
暖簾に腕押しでした。

知的障害者は、精神障害者の「癒し」のために存在するわけではありません。

指導員は、資格試験に合格すれば、退職するでしょう。
それぞれの生活設計を考えなければなりませんが、見えすぎるのは不愉快です。





事情を市役所に話して、次男にふさわしい場所を探してもらおうと思います。



2006年に、美術教室の保護者会で、教会のセンターの総主事から地域活動支援センターのデイサービスを立ち上げるとお話がありました。
「知的障害者の生涯教育の場所にしたい。生涯にわたって、よりどころになる場所を提供したい。」と言われました。


私は賛同しました。

総主事の居ない場所で、「ちょっと、冗談で、デイサービスを作ってくださいよ。。。って、言ったら、本気にしたんや。アホやで。」と、言ったお母さん達がいました。

ビックリした。。。、自分の子を支援してくれる同胞にそういう言葉を投げるのか。。。。

私は日本人だけど、クリスチャンでもないけれど、次男のために尽力してくださる人は、国籍、人種、宗教にかかわらず、ありがたいです。

私はとてもありがたい試み、意義ある試みだと思いました。

自立支援法は、こういうこともできるのか。。。と知りました。

 

2006年春から、出来る限り、次男を通所させました。
利用者数のカウントに協力したかったのです。

何年も前から、美術教室に子どもを通わせているお母さん達のヨイショ!を真に受けて作ってしまったデイサービスでも、役に立てば結果オーライ!だと思いました。
良い試みでしたが、実らなくて、残念です。

クーデターを起こして新しい美術教室に移った生徒さん。。。というよりも、生徒のお母さん達は、これまで通りデイサービスを利用し続けるそうです。

新しい美術教室は、今まで通わせていた美術教室、これからも利用し続けるデイサービスのごく近所に場所を借りて作ったそうです。

Ӥäビックリ!

異次元のようです。

私には、最初から無理があった世界のようです。




次男の美術教室での作品がまだタップリ残っていると知らせがありました。
難儀なことです。
これまでに2回、回収に行ったのに、念を押したのに。

今度、私が動けるのは1カ月後です。

気持ちが地面にめり込みそうです。

ヤス君の金糸卵‐デイサービス 「障害児の親として(10946)」

デイサービスに登所すると、次男は指導員さんにプールに連れて行っていただきました。

現地でイッペイ君と合流する手はずです。

母は、次男と午後に出かけるので、デイサービスで待機しました。

 

 

デイサービスセンターでは。午後からプールに行く予定の利用者と指導員さんで豪華海鮮丼を調理していました。

ヤス君はとても大柄な自閉症の知的障害者です。

年齢は次男と同じくらいです。

 

聞くところによると、ヤス君はお魚を3枚におろすことが出来るそうです。

(すごい!!オバサンはできません。2枚が精一杯です。(-_-;))

今日は、ヤスくんが金糸卵を焼いてくれるそうです。

オバサンは、自分が上手に金糸卵を焼けなかったので、ヤス君のお手並みを拝見することにしました。

ヤス君の素晴らしいお仕事をご覧あれ。

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ヤス君、あなたは素晴らしい!!

オバサンは、あなたを尊敬します。

フレンチ?イタリアン? 「社会人の障害者であるわが子との日々(1297)」

今日のデイサービスの昼食は凝っています。



冷たいスープはビシソワーズ?
冷製パスタは、サーモンとチーズが具材です。
豪華な海鮮サラダはオイルをかけていただきます。

次男もホタテを切って、野菜を盛って、できる範囲でお手伝いをさせていただいて、満足、満足。

自分は、なにかのお役に立っている。。。と思えることが大事なのだと思います。
自尊心につながると思います。

手伝わせないで、職員がチャッチャッとやったほうが早くできることでも、手伝わせていただけるとありがたいです。











地の利ーープールへ 「社会人の障害者であるわが子との日々(1297)」

地の利に恵まれていることは、本当にありがたいです。
私達の住居地域は、公共交通機関も公共施設も充実しています。

デイサービスから帰宅した次男はとってもスッキリした顔をしていました。

なんでかなぁ。。。と思って連絡帳を確認すると、市民プールに行ってきたことがわかりました。


塩素で漂白されたかなぁ。(^.^)
ちょっと色白になったように思います。

ベッドに「心の友」(人形)がなくて、ちょっと不納得の次男ですが、グッスリ眠る事ができました。
ありがとうございました。


成人してからも、運動量をこなす習慣があると、気持ちが安定しやすいのではないか。。。。と思っています。











プロフィール

Protea Mama

Author:Protea Mama
7年余、楽天ブログを書いていました。いろいろな機能が終了になるということなので、FC2ブログに移動しました。楽天ブログには「フリーページ」があります。大変ありがたい機能ですので、楽天ブログも大事に置いておこうと思います。良かったらご覧ください。

私が「障害児の親になったのだ。」と気づいた頃は、情報を得ることが難しくて、子の将来の姿も、自分の将来の姿も想像できませんでした。どんな未来が待っているのか、不安で不安で。だれか、知らせて。だれか、見せて。。。と誰かをつかまえて訊きたかったのです。だから、今の次男の様子を書いておこうと思います。それを読んで、ガッカリする人もあるかもしれません。安心する人もあるかもしれません。ともかく、私達は今、生きています。親子無理心中事件は起こしませんでした。これからもないことを願っています。次男は、コロニーや施設ではなくて、街中で生活して、成人して、やがては老いていく初めての世代の障害者だと思います。どんな生活が有り得るのか、親亡き後の次男の生活は幸福なものになるのか。次男に親を独占されて、すね気味に大人になってしまった長男を真に解放してやることができるのか。。手探りの毎日です。

希望は強い勇気であり、新たな意志である。

すべてのことは、願うことから始まる。

どちらの言葉も、マルティン・ルター の言葉です。
私はクリスチャンではありませんが、とても良い言葉だと思います。

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