方広寺大仏殿の塀礎石発見

東大寺大仏殿(奈良市)をしのぐ大きさだった方広寺大仏殿は、秀吉死後の1602年に全焼し、息子の秀頼が再建。その後、落雷で全焼し、今は建物はない。秀吉が造営した当初は泥土で固めた築地塀で囲まれていた。
見つかった礎石2基は東西に並び、南北がともに50センチ、東西がそれぞれ95センチと55センチの長方形。2基とも上面に柱を立てるためのほぞ穴が開けられ、上面と南面が丁寧に仕上げられていた。
礎石2基の西約200メートルに築かれた秀吉期の石垣にもほぞ穴があることから、秀吉期の塀に関連しており、大仏殿の南東側にあったとみられる。
大仏殿跡のすぐ南側に位置する三十三間堂の「太閤塀」(高さ5.3メートル)の柱の間隔は3メートル。これに対し、礎石2基のほぞ穴の間隔は3.3メートルと上回り、同研究所の担当者は「大仏殿の塀は太閤塀より大きかった可能性がある」と話した。

古墳時代あたり~太平洋戦争までの合戦、紛争、事変
作ってくださって、ありがとうございます。
古墳時代あたり~太平洋戦争までの合戦、紛争、事変なんかを2分弱に圧縮した動画作ってみたら、応仁の乱あたりから大変なことになった。
明智光秀:密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ
「平安初期の最大規模の邸宅跡」 が発見された
そんな大規模な発掘調査ができる場所は。。。学校か官庁の敷地かな??と思っていた。
なるほど、島津製作所の敷地だったんだ。
路面電車が島津製作所の前を通ります。
路面電車の窓から見える建物の向こう側かな。
説明会、いきたいなぁ。。いけないけど。
平安宮散策マップから、現在の地図に平安宮を落とし込むと、

なるほど、近い。
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